新・玄マンダラ

第7回 2016年オリンピックはリオデジャネイロに決定 なぜ「東京」は負けたか

概要

これまで一年半にわたり、「玄マンダラ」をお読みいただき感謝申し上げます。 平成21年7月から、装いを改め、「新・玄マンダラ」として、新しい玄マンダラをお届けすることになりました。 ITの世界に捕らわれず、日々に起きている事件や、問題や、話題の中から、小生なりの「気づき」を、随筆風のコラムにしてお届けします。 執筆の視点は、従来の玄マンダラの発想を継承し、現在及び将来、経営者として、リーダーとして、心がけて欲しい「発見」を綴ってみたいと思います。 引き続き、お付き合いを御願いします。 職場で、あるいは、ご家庭での話題の一つとしてお読みください。

日本時間、10月3日の真夜中、コペンハーゲンのIOC総会で、2016年のオリンピック、パラリンピックの開催地は、ブラジルのリオデジャネイロに決定した。日本は、残念であるが、2回戦で敗退し、最終投票に残ることが出来なかった。 最後は、リオとマドリッドの決戦となり、圧倒的な差でリオが勝った。 オバマ大統領とミッシェル夫人を投入したシカゴは早々に敗退した。  山本寛斎氏は2020年を目指すと言っているが、その言葉に共鳴する人は今回の当事者はいざ知らず、いや当事者の中でも少ないと思う。その時には、もう、石原氏は居ないであろうから。 石原氏はスタッフの努力は最高であった、日本のプレゼンは最高であった、しかしそうでない力が働いたと、感謝の言葉を述べた。 そして、これまでの招致活動の全てを公開して、国民に斟酌を問うと述べた。 今、石原氏の胸中に去来するものはなんであろうか。

 
 これが投票の結果である。 ここまでの予選では東京が最高得点であったことから、関係者の間では、東京が選択されることにかなり期待は高まっていたと思う。 環境配慮のグリーン都市再設計、ゲーム場が8キロ以内に存在するコンパクトさを全面に打ち出した招致活動であった。 94人のIOC選考委員から、1回目は23%、2回目は21%の獲得率であった。 つまり東京を支援する委員は、4-5分の一であり、かつ、固定していたことを意味する。 シカゴの18票を東京はまったく獲得することが出来なかった。 そして最終決戦では、東京を支援した委員の票がそのままリオに流れたという結果となった。
 
 結果で言うから不謹慎と指摘されるかもしれない、それは甘受する。 小生は、初めから東京オリンピック招致にはどこか醒めていた、むしろ、今の時代、その金と精力をもっと有効に活用する方法が幾らでもあるはずであると思っていた一人である。 昭和39年の東京オリンピックの時といまとは経済社会環境はまったく異なっている。 あのときは、まさに城山三郎が描く「官僚たちの夏」の時代であった。 国民の感情がオリンピックに共鳴する環境があった。 日本が経済国家という坂の上の雲をもとめて気持も足並みも揃っていた。 さて、現代はどうであろうか、いまの社会経済環境は決してそうではない、経済不況といいつつ、それは成熟した経済社会の中での閉塞感であり、かつてのそれとはまるで違う。 そんな中で、石原氏の目指した大義とはなんであったのだろうか。 
 
 東京オリンピックについてのいくつかの講演に参加した。  どの講演を聴いても、ソラーパネルを張り巡らせ、まわりを緑の森に囲まれたメインスタジアムのイメージ画像だけが強烈に印象に残り、どこか無理があることを感じてきた。 国民の支持率がかろうじて50%越える54%という数字に、 国民も、都民も、盛り上がらないことは、IOCの意識調査でもはっきり出ていた。グリーンのテーマも、東京オリンピックだけでまるで東京全体をグリーンのショールームに変身させることが出来るかのような説明に、どこか、違和感を感じてきた。 招致委員会は、さまざまなアスリートを動員して、様々なイベントを行い、意識向上につとめてきたが、当事者だけが盛り上がるものの、国民との温度差は最後まで埋まることは無かったという印象がある。 石原氏の意図は、オリンピックという世界ブランドを活用して、東京のインフラを整備し環境都市にすることにより、閉塞した日本を活性化し、世界における東京の地位をあげ、日本の硬直化した行政に喝を入れるというものである。 石原氏の独特の、閉塞した日本の政治を東京から変革させようという意図はだれも頭では理解しているところであると思う。 そこには、議員を辞めて、より実践力のある都知事に就任し、硬直した政治の世界に一泡吹かせようという反骨心を見ることが出来るのであるが、それには、どこか、健康な反骨心と思われないところがあると感じてきた。
 
 石原氏は、閉塞した日本を改革するため、国民的なお祭りがいま必要であると指摘してきた、そして、気候温暖化で政府が優柔不断であるだけに、東京都が率先して緑の都政を実現し、世界に東京の都市価値を一挙に高めることを意図した。 そのために、国家からの資金を合理的に引きだす必要があり、政府を巻き込んだ企画として、実質的な国家的なプログラムマネージャを担ってきた。 この発想は、とてもよく理解できる。 しかし壮大な計画であるだけに、愚民化しているとはいえ決定的な都民、国民との意識の差をもっと真剣に理解するべきではなかったろうか。 地方との格差が指摘される現在、東京だけが突出している日本の地方自治である。 ここが見抜かれ、石原氏と都民・国民の温度差は、最後は、IOC委員と日本の温度差となってしまったように思う。 
 
 繰り返しになるが、日本が今回、東京へ招致をするための切り札は、二つであった。 一つは、8キロ圏内にすべての会場が設置できるコンパクトさであり、もう一つは、環境・エコのコンセプトであった。 特に、第2のポイントを強調し、日本はこれが切り札であり、基本的なコンセプトを打ち出したと称賛してきた。 それに比較するとき、他の候補都市の主張にコンセプトがまるでないことを猪瀬副知事は繰り返し自慢してきた。 しかし、この二つがオリンピックという本質を本当に支援するコンセプトあったであろうか。 民主党は、野党のときには、招致に反対してきたが、与党になって前言を撤回して、みずからプレゼンテーションを行った。 プレゼンテーションの品質は最高であったと石原氏は評価していた。 しかし、オリンピックの原点はアスリートの祭典である。 CO2の25%削減を強調する鳩山氏のプレゼンは、どこか政治色まる出しであり、北京で頂点に達したように政治がオリンピックを利用しようとしている印象をIOC委員に与えたのではなかろうか。 IOCは、大物をこの場に引きだし、IOCの委員が最後のプレゼンテーションで最終決定するという、まるで国際サミットでも演出するかのような儀式にしたてあげている。つまるところIOCそのものがすでにオリンピックの原点を喪失していると思う。 このプレゼンテーションのお祭り騒ぎは、IOCという組織がオリンピックという商品を手にして最後のオークションをしているかのように、小生の目に映る。 そこで政治色の日本の環境プレゼンは、どことなくそぐわないものを感じたのではなかろうか。
 
 北京オリンピックで多くの人が感じたように、現代オリンピックは、国威発揚や、巨大資本を投じた世界最大のサービスビジネスと成っている。 本来の意味を喪失し、コマーシャリズムと、国威発揚という外交の道具となっている。 それを意図的に勧めてきたのがIOCというスポーツの国際的なエージェントであると小生は思っている。 米国が資本主義に溺れて自ら墓穴を掘ったように、IOCもどこかで墓穴を掘るような予感がしてならないのである。 かつて「黒い輪」という本が出た。 オリンピックを拝金市場の最大の商品に作り上げたサマランチ氏の行政をするどく批判した著作であった。 その批判は抹殺され、ますます、コマーシャリズムと国威発揚の場として増大して、その行き着いたところが北京オリンピックであったと思っている。
 
 今世界は変わろうとしている、米国がオバマ大統領を選択し、日本が鳩山氏を選択した、そして、IOC委員は、極めて常識的に、一生懸命頑張ってきた、ブラジルを選択したのである。  大局的に考えてみるとき、これだけ、世界を経済危機に陥れた米国である、今回の金融危機の震源地である先物取引の都市のシカゴである、そんな、シカゴが選択されるはずがない。 日本であるが、気候温暖化はいまや政治問題である、日本が勇気あるドンキホーテを演じている25%を繰り返しても世界は、オリンピックと気候温暖化問題を一体化させることに違和感をもっているであろう。 そして、何よりも大事なことは、東京という都市が、日本という国が、世界から魅力を失っているということではあるまいか。 いまだに、経済危機から脱却できない欧州である、かつ、スペインは過去に一度バルセロナで開催している。 それにもかかわらず最後まで残ったのは、サマランチの影響かもしれないが、やはり、マドリッドという都市に魅力があったのであろう。 マスコミや、担当者は、最終投票でシカゴの票を、日本が取り込めなかったことを指摘し、IOC委員への、政治活動、ロビー活動が不足していたと指摘していた。 石原氏の帰国後の会見の言葉にある「プレゼンで勝っていたがそれ以外の力で負けた」とは、そんなフェアでない選択方法を指摘していると見る。 そうした要素があったことは誰しも思っていることとであろうが、それだけで、すべての問題を解決しようとするのは少々ステレオ的ではなかろうか。 この4つの都市が並んだとき、「常識という目」があれば、リオは自然であると思う。 BRICs の代表選手であり、南米での開催は初めてである、リオは美しい都市である。 もしオリンピックに経済効果や国威発揚の要素が期待されるとすれば、新興発展国であるリオが最優先候補であるのは大局観のなさしめるところではあるまいか。
 
 ブラジルは国民をあげて、情熱だけを武器に、リオでの開催を希望してきたという。 何の飾りもない、素朴な主張を最後の最後まで行ってきたと評価されている。 そんな綺麗ごとだけではないとは思うが、そうした印象を作ってきたことは成功の原動力である。 その姿勢は、コマーシャル化して、技巧化し、形式化している、開催地選考ゲームに、原点回帰をうながすことになったものと思う。 政治色が強くなっているオリンピックIOCであるが、よい反動である。 今回は常識という判断が政治を越えたのではなかろうか。 そして、世界でもっとも経済的でコマーシャリズムに毒されていない、原点に立ち戻ったオリンピックをブラジルが開催することを確信する。 小生は、リオで良かったと思っている。 ブラジルは長い日本人の移民の歴史が染みこんでいる国である。 これを機会に、日本とブラジルの絆を再確認し、世界一強く、世界一濃いものにする、絶好の機会であると思う。 石原氏が本気で大義を貫くなら、今回目指した、「グリーン東京」を、オリンピックという他力に依存せずに、自分の構想力を信じてやればよいと思う。さもなければ、オリンピックが無い限り、石原氏の主張する「環境都市東京」は実現できないということにあろう。 石原氏にとっては縷々述べてきたように、オリンピック招致は手段であったはずである。決して、目的であったとは思わない。 ここまで挑戦できたのは、間違いなく、石原氏の強いリーダーシップであった、余人ではなしえない仕事であると思う。 招致に失敗した今、石原氏の本当の大義がこれで問われることになる。

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筆者紹介

伊東 玄(いとう けん)

RITAコンサルティング・代表
1943年、福島県会津若松市生まれ。 1968年、日本ユニバック株式会社入社(現在の日本ユニシス株式会社) 技術部門、開発部門、商品企画部門、マーケティング部門、事業企画部門などを経験し2005年3月定年退社。同年、RITA(利他)コンサルティングを設立、IT関連のコンサルティングや経営層向けの情報発信をしている。 最近では、情報産業振興議員連盟における「日本情報産業国際競争力強化小委員会」の事務局を担当。

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