新・玄マンダラ

第3回 世界遺産「花の聖堂での落書き」に思う ― 「慎独」

概要

これまで一年半にわたり、「玄マンダラ」をお読みいただき感謝申し上げます。 平成21年7月から、装いを改め、「新・玄マンダラ」として、新しい玄マンダラをお届けすることになりました。 ITの世界に捕らわれず、日々に起きている事件や、問題や、話題の中から、小生なりの「気づき」を、随筆風のコラムにしてお届けします。 執筆の視点は、従来の玄マンダラの発想を継承し、現在及び将来、経営者として、リーダーとして、心がけて欲しい「発見」を綴ってみたいと思います。 引き続き、お付き合いを御願いします。 職場で、あるいは、ご家庭での話題の一つとしてお読みください。

目次
聖地巡礼
落書き事件
生存証明
意識の温度差
好い加減な純粋培養精神
勉強時間を作る
慎独

 

聖地巡礼

 息子と一緒に世界の旅を始めてもう足掛け10年にもなろうか、宗教に捕らわれず聖地を巡礼して歩いている。聖地とはあらゆる宗教にとって聖なる土地という意味である。 その多くは世界遺産に登録されているところである。 イタリア、スペイン、フランス、イギリス、ロシア、チベット、ペルー、モンゴル、イスラエル、ニュージーランド、エジプトなどなどである。 イタリアではフィレンツェでサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(花の聖堂)と隣接するジオット鐘楼に息を切らせて上った。  現在の、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂は、3代目である、初代はローマ時代の4-5世紀に建てられたがビザンチン時代に戦禍で破壊され、7-9世紀に再建されたが再び戦禍で破壊された、そして、13世紀末から140年かけて現在の姿に再々建されている。 クーポラの頂上まで現在は、6ユーロで昇ることが出来る。 464段の狭い息が詰まるような螺旋状の階段で上る。閉所恐怖症の人は遠慮したほうがよい。 となりのジトットの鐘楼も同様に6ユーロで昇ることができる、此方は414段である。 続々と人の波が続くので途中で休むことが難しい。年寄りには結構キツイものがある。屋上から眺めるフィレンツェの街並みの美しさに言葉を失う。夢中で上り感動に浸っていたので落書きがあることなど意識にも無かった。落書きはときには貴重な世界遺産の仲間入りをすることもあるが今回はそうではあるまい。この落書きはいつの頃から始まったのかと想像するにおそらく建築の直後からすでに始まっていたのではあるまいか。

 

落書き事件

 もう記憶も薄れているが、昨年、落書きが事件が、突然マスコミを賑わした。 岐阜市の某女子短大の学生が海外研修旅行でフィレンツェにあるサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂を訪れ、その壁に落書きしたことが大きく報道された。 同校はイタリア大使館と大聖堂に謝罪し、学生6人と引率教員2人を「学長厳重注意処分」にしたという。 大聖堂の大理石の壁に、約30センチX約20センチの大きさで、日付や自分の名前、学校名などをマジックで落書きしたという。 たまたま別の日本人旅行者がこれを見付けて同校に連絡したことにより発覚したものであった。  同校は謝罪して、修復費用の負担を申し出た、さらに現地へお詫びに行くという、大聖堂側から「文書での謝罪だけで結構、責任は問わない。修復費用の負担は不要である。」と連絡があったという。 その直後にも京都の某大学の学生が落書きをしたという。 これは、おそらく氷山の一角であろう。 TVによれば地元のイタリア人は意外にあっけらかんとしており、日本のマスコミの異常とも言える報道や、処罰の厳しさに驚いている様子であった。 今年、エジプトを旅して、聖地であるカルナック神殿を訪れた、そこには、なんと、フランスの学者であるシャンポリオンの名前が石柱に堂々と書き込まれてそれが観光名所となっていた。 

 

生存証明

 人間には、貴重な場所で、貴重な時を体験したとき、その瞬間を証拠に残して起きたいという本能的な欲望があるようである。 その典型が記念撮影であろう。日本人はともかく写真が好きである。ガイドの説明も満足に聞かずに、写真を撮りまくる風景は世界中居たるところで目にする。 この瞬間に、この地に立って居たという「生存証明」である。 その延長上に今回の「落書き」があったと思う。 貴重な世界遺産を汚すという意識はまるで無かったであろう。 大勢の人が「生存証明」を「落書き」として残しているので、自分たちも「One Of Many-Of-Them」という感覚であったに違いない。 「ウカツ」というやつである。貴重な世界遺産を汚すことにより破壊するという意図であれば「犯罪」である。 この「本能的な生存証明」と「意図的な犯罪」は、時と場合により、鮮明に区別出来ることもあれば、微妙に灰色となることもある。 その意識の温度差は、当事者本人においても、また、それを客観的に観察する第三者の意識の中にも存在することになる。通報した人も、日本語の落書きを発見して、日本人の恥だと思い、たまたま、「戸籍」が判ったので善意で連絡したのであろう。 よもや、マスコミに出るとは想像だにして居なかったに違いない。善意の通報が思わぬ展開となったことに驚いているに違いない。

 

意識の温度差

 「世界遺産」に指定されることで再認識される「価値観」は、日本人にとってはときに「非連続的」に高い価値観をもたらす。 日本にも多くの世界遺産があるが、通常の歴史的遺産とは紙一重のものもある。 一端世界遺産となると、非連続的な価値観を日本人の意識の中に作り上げるものである。 まして、それが世界屈指の著名な世界遺産ともなればその非連続性はさらに拡大するのであろう。 その意識行動は、世界の宝物を汚した不埒なヤツということになる。 日本のマスコミにもそうした性質がある。 そして、マスコミが取り上げた瞬間に、「不埒なヤツ」の濃度は一挙に日本人の贖罪意識となって増大する。 それは、日本人のもつ不思議な純粋培養体質と共鳴現象を引き起こすことになる。 一度この思考パターンに入ると、ブランド毀損、個人の名誉崩壊ということにまで発展する体質を日本人はもっている。 それは、企業における偽装事件にも通じる体質である。

 

好い加減な純粋培養精神

 さて、今回の事件はたまたま落書きした当事者がその犯行証明(?)を残したことが発端となっている。 世界遺産には、無数の落書きがある、日本人のものもあるが、圧倒的に外国人が多い。 落書きはよいことではないが、世界中の世界遺産をくまなく調べて日本人の落書きがあればお詫びをするのであろうか。 日本国内における世界遺産にも無数の落書きがあるが、それも調べてお詫びをさせるのであろうか。 純粋培養でありながら、適度な好い加減ということを日本人はやらないのである。 これからも落書きは無くならないであろうが、「戸籍証明」をする「ウカツ」だけは無くなるであろう。 そうした意味ではこの事件は、日本人観光客にはお灸にもならないであろう。 しかし、これから何も学ばないのでは、今回懲罰された意味がなくなる。

 

慎独

 幕末の碩学、佐藤一齋が著した名著に「言志四録」がある、佐藤一齋が40代から書き始め年代毎に、言志録、言志後禄、言志晩禄、言志耋禄(てつろく)の4部からなる。 言志耋禄は、佐藤一齋80歳の時に書かれたものであるが、その91条に「慎独」がある。

 「敬」とは、自分の行動を慎み、人を敬うことである。 「慎独」の原典は、「大学」の君子必慎其独也 および、「中庸」 君子慎其独也 から来ているとされる。 その要旨は、「一人でいるときこそ心身を慎んで道に背かないように振る舞うことである。 そうすれば人前に居る時はさらに慎むことになる。 古人はそのことを粗末な家であることも恥じることなく、暗闇でも道に欺かないことであると教えている。」 ということである。 人の目につかないときこそ、正しい行いをすべきであると教えている、その訓練が出来れば、人の前では自然と正しい行いがとれるのである。 

精神の劣化を少しでも食い止め、子供達に「敬」の世界を継承していくのが、今の時に生きている我々一人一人の責任ではなかろうか。 そのためには、今、この瞬間から、自らが「慎独」を心に決めて、日常を過ごすしかないであろう。 世界最先端の装備をもつイージス艦「あたご」が漁船と衝突した事件があった、まるで笑い話である、兵隊として「慎独」という意識が訓練されていれば絶対に起きない事故であったと思う。 そして多くの不祥事もまた然りである。

 

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筆者紹介

伊東 玄(いとう けん)

RITAコンサルティング・代表
1943年、福島県会津若松市生まれ。 1968年、日本ユニバック株式会社入社(現在の日本ユニシス株式会社) 技術部門、開発部門、商品企画部門、マーケティング部門、事業企画部門などを経験し2005年3月定年退社。同年、RITA(利他)コンサルティングを設立、IT関連のコンサルティングや経営層向けの情報発信をしている。 最近では、情報産業振興議員連盟における「日本情報産業国際競争力強化小委員会」の事務局を担当。

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