新・玄マンダラ

号外 「玄独言録 ― 誠と利他」 出版

概要

これまで一年半にわたり、「玄マンダラ」をお読みいただき感謝申し上げます。 平成21年7月から、装いを改め、「新・玄マンダラ」として、新しい玄マンダラをお届けすることになりました。 ITの世界に捕らわれず、日々に起きている事件や、問題や、話題の中から、小生なりの「気づき」を、随筆風のコラムにしてお届けします。 執筆の視点は、従来の玄マンダラの発想を継承し、現在及び将来、経営者として、リーダーとして、心がけて欲しい「発見」を綴ってみたいと思います。 引き続き、お付き合いを御願いします。 職場で、あるいは、ご家庭での話題の一つとしてお読みください。

平成22年3月中旬に、「玄独言録 ― 誠と利他」(330P)を幻冬舎からし出版することにした。出版作業は、最終のゲラ校正を終え、装丁のデザインや紙質も決定した、作家としての仕事は終わり、見本が今月中に上がってくる。今回のレポートはその著作の紹介をするものである。
 
 60才の定年を機会にIT業界を中心にしてレポートを配信することを始めた。そのレポートもこの1月末で650号を超えた。3月で満7年となる。年間に平均すれば90本を超える。加えて、雑誌や企業誌やウエブにコラムを寄稿してきた。合計すればこれまでに発信した原稿はゆうに700本を超えることになる。これを機会にその中の一部を選択して出版することにした。発刊はこの3月末を予定している。出版のキッカケはさまざまである、何人かの友人からの勧めがあったこと、友人が定年後の中国での体験を綴った「定年徒然日誌」を発刊したことに刺激されたこと、自分の定年後の仕事の足跡を残して起きたいと思ったこと、67年生きてきた「証」を残しておきたいと思ったこと、などの気持ちがこの時期に熟したということであると思っている。どんなこともそうかもしれないが、「気持が熟したときに決断」をするということが大事であると思っている。よく先延ばしということがあるが先は無いと知るべき年となっている。どこから出版しようかと思案してみたが、かつて娘婿が務めていた幻冬舎で彼の友人が副編集長をしているというのですんなりと幻冬舎と決めた。読者の中にも今後出版を検討する人がおられると思うので、今回の出版の体験をあらためて整理するつもりでいる。品質の高い書籍になるかどうかは、いうまでもなくコンテンツの品質がなにより大事であるが、同じくらいの重要さで優れた編集者との巡り会いであると実感した。出版は、著者と編集者の二人三脚であることも実感した。今回のレポートは、書籍に寄せた著者による「はじめに」、「おわりに」を引用して出版の背景と感想を紹介し、今回出版を依頼した「幻冬舎ルネッサンス」で編集を担当してくれた峯晴子副編集長の感想を「編集後記」として紹介する。
 
はじめに ― 著者
平成二一年十月三日
 
「玄独言録」とは
 
昭和四三年に日本ユニバック(昭和六三年に「日本ユニシス」と社名を改称)に入社した。その後、四〇年間勤め、同社を定年退社した。PCS(パンチカードシステム)に始まり、メインフレーム時代、オープン時代、そして、インターネットの時代まで、まさに日進月歩で技術革新が行なわれた激動のコンピュータ業界に身を置いたということを実感している。定年を機会に、「RITAコンサルティング」を立ちあげ、これまでの IT業界での広範な経験をもとに、IT業界を取り巻く様々な動向を経営的視点から多面的に取材し、レポートを作成、発信することを始めた。「RITA」とは仏教の教えである「自利利他」から採ったものである。定年後の第二の人生では、ささやかではあるが、これまでこの業界で培った体験と感性を、少しでも後輩や周りの人に還元することにより恩返したいという思いをこの言葉に込めている。
 
そのレポートも平成二一年には六五〇号を超えることとなった。 業界動向レポートというものはともすれば内容的に堅苦しくなりがちなため、その中に、息抜きとして折々に感じたことを随想風に綴ったものを、筆者の「独り言」という意味で「玄独言録」や、「閑話休題」と題し、挿入してきた。今回、そうした随想だけを抜き出して整理してみた。 それに加えて、企業誌と企業のウェブ・マガジンに、「玄・マンダラ」と名づけ書き始めたコラムがある。これは、その時々の旬の「気づき」を思いのままに経営的視点で書いてきたものである。
 
これらのいずれの文章も、改めて読み直してみると、独断と偏見丸出しであるが、その時々の出来事をどのように受け止めたのかが率直に書かれており、また、執筆時の時勢がよく反映できていると思う。そして、仏教の「利他」の精神と、儒教の「誠」の精神が低層流としてあることを実感する。それは「会津」に生をうけ、幼年時代をその地で過ごしたこと。そして、天の配偶として授かった、自閉症を抱えながらも健常人に優るとも劣らない素晴らしい生き様を見せてくれる息子の誠と素晴らしい家族と過ごしたこと。さらに、これまでご縁を結んだ数え切れないほどの多くの人々のお陰と無縁ではない。
 
書き始めて七年になるが、定年後の第二の人生のささやかな「足跡」として記録に残して置きたくなり、「玄独言録」、「閑話休題」、「玄・マンダラ」、をひとつにまとめ、「玄独言録 誠と利他」と題して出版することにした。題名の「玄独言録」は筆者の名前からとった。「玄」という文字は真の黒を意味し、そこから万物の根源やものごとの真理や本質に通じるとされる。副題の「誠と利他」は儒教と仏教の精神の融合を意味し、「誠」は四書五経の中庸にある「誠の道は天の道なり。之を誠にするのは人の道なり」からとったものである。そしてそれは息子の名前でもある。
 
この中には、およそ五〇本の、玄独言録と紀行文、随想、コラムなどをおさめた。全体を三つの章に構成した。第一章は「喜怒哀楽―日々思うこと」としエッセイを中心に、第二章は「世界からみた日本―親子で巡る世界遺産」とし紀行文に、そして三章は「同行家族生き甲斐創造―誠の記録」とし息子の成長記録を収めた。自分の足跡の記録であると同時に、これまで小生のレポートを支援していただいた読者への感謝の思いを込めた一冊である。
 
 平成二二年三月吉日            RITAコンサルティング代表 伊東 玄
 
次に書籍の目次を紹介しておこう。
玄独言録 「誠と利他」 目次
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そして、編集校正を終えた感想を「おわりに」として載せてある。それを以下に紹介する。
おわりに ― 著者
 
七年間、「玄独言録」、「閑話休題」、「玄マンダラ」と題し、随想、紀行文、コラムを書いてきた。その数は三〇〇編にもなる。取り上げたテーマは関心のおもむくまま、広範囲で多岐にわたっている。今回、その中から五十編を選択して出版することにした。選に漏れた二百五十編の寂しそうな顔が目に浮かぶ。改めてまとめて読んでみると、その時その時に遭遇したさまざまな出来事に、自分の心がどのように反応してきたのかが、実によくわかる。矛盾に憤り、人のやさしさに涙し、ご縁に感謝し、どこか心の隅で欺瞞と葛藤しながらも利他の真似事をし、寂しさに消沈し、息子の誠の生き様を見ては自分を鼓舞し、家族の悲喜こもごもの出来事に一喜一憂する姿がある。それらを紡いでみると、それは無意識の自分の姿を映して見せてくれるような気がする。そして自分の底流にいつも流れているものに思いを馳せる。人にはそれぞれの生き様がある。生き様を自ら語ることはなかなか困難である。だが、三〇〇編を越える随筆を通読してみると、今まで気づかなかった自分の生き様がおぼろげながら浮かび上がるように思う。
 
生き様は自分でわかるものでもなさそうであるが、あえて、自分の生き様を言葉にしろと言われれば、「一所懸命」と言うことができる。今回の出版が、そのことを自覚させてくれるものとなった。「一所懸命」に生きる。きっと誰でもそうであろう。いい加減に人生を送る人はいない。なぜ、自分がそう言えるのであろうかと考えてみる。決定的な影響を与えたのは、小生がもの心つく頃に両親が離婚、女手一つで自らの犠牲を厭わず三人の息子を大学まで出してくれたお袋の必死な姿を見てきたことである。それから、幸運にも自閉症である誠を息子として授かったことである。自閉症者は汚れを知らない、生まれたままの純粋な心を大人になっても持ち続けている。小生は、仏の心とは、誠の中に存在する心であると思っている。天真爛漫でごまかしということを知らない。駆け引きも知らない。すべてに正直である。そばにいるだけでほのぼのとした気分になる。きっと、人間の本質とはこうしたものであると思う。それが、世間の荒波にもまれるうちに、いつのまにか奥深く閉じ込めてしまい、上から沢山の衣を纏うようになっていくのであろう。
 
これまで六十七年の間に遭遇し、ご縁を結んだ数え切れないほど多くの人々、「一所懸命」を自らの生き様を通じて教えてくれたお袋、息子の誠と娘の恵、そして女房に、人生の二毛作のささやかな収穫としてこの本を捧げたい。この本は、これまで七年間、小生のレポートをお読みいただき、それなりに共感的理解を共有できていると思っている読者を意識した内容となっている。説明の至らないところは、それに甘えて行間を補いながらお読みいただきたい。この出版を節目に「同行家族・生き甲斐創造」をさらに進めて「同行家族・生き甲斐共創」で人生を送りたいという思いを強くしている。
 
末尾になるが、その時々の気持ちの趣くままに筆を走らせた奔放気ままな文章に、半年もの間、悪戦苦闘しながらも格調の高い文章を共創してくれた幻冬舎ルネッサンスの峯晴子氏に心より感謝したい。当初の期待を越える作品になったことを本当に嬉しく思っている。
 
平成二十二年四月一日六十七歳の誕生日に                                    
 
伊東玄
 
当初はこの7年間小生のレポートをお読みいただいてきた友人の三人にお願いして「出版に寄せる言葉」を寄稿して貰おうとおもっていたが、むしろまったく小生とはお付き合いのない第三者から率直な感想を頂いたほう自分の評価になると思い立った。そこで、昨年の9月に幻冬舎に原稿を持ち込んで以来半年の間、素人の拙い文章にお付き合いいただいた幻冬舎ルネッサンスの副編集長の峰晴子氏に編集後記をお願いすることにした。その「編集後記」を以下に引用し紹介する。
 
編集後記 ― 編集者
 
「人生の二毛作として、これまで書きためたエッセイを出版したい」そんな言葉と共に、伊東氏から原稿を受け取ったのは、まだ夏の暑さが残る九月初旬のことだった。その数、なんと三〇〇編。果たして、これだけのものを一冊の本に構成するためには、どうアドバイスすればいいのやら……。正直、その時の私は膨大な量の原稿を前に戸惑ってしまった。 
しかし、伊東氏の熱い思いに応えるためにも、まずはこれらを読んでみなければならないと、やや使命感にも似た思いで読み始めたのだが、気がつけば、伊東氏が紡ぎ出す世界に引き込まれている自分がいた。
 
内容は実に多岐にわたっている。普段は見逃してしまいそうな日常のささいな出来事までも丁寧に取り上げ、独自の目線で鋭く切り込んでいく。「おわりに」にも書かれているように、三〇〇編のエッセイの中には、社会の矛盾に憤り、人のやさしさに涙し、縁に感謝する伊東氏の姿が生き生きと描き出されている。伊東氏が遭遇しているひとつひとつの出来事を、追体験しているかのような錯覚に陥ってしまう。
 
それはなぜか。もちろん視点の鋭さもあるだろうが、それ以上の大きな理由は、伊東氏が単なる傍観者にとどまらず、まずは自分で体験してみるという姿勢を貫いていることにあるのではないかと思う。コールセンターの不親切な対応やエコポイントの複雑な活用制度をはじめ、少しでも不満や疑問を感じたら、まず動いてみる、体験してみるというバイタリティーあふれる伊東氏の姿勢が、我々読者に訴えかける力を増大させているのだろうと。
 
そして、このエッセイのもうひとつの柱となり、大いに心を動かされるものに、ご子息とのエピソードがある。伊東氏のご子息、誠氏は三歳の時に自閉症と診断されたという。「同行家族 生き甲斐創造」には、その誠氏が三十五歳になるまでの詳細な成長記録が書き記されている。保育園から小学校、中学校を経て仕事に就くまでの数十年間の様々なエピソードが丁寧に綴られているのだが、そこに悲壮感はない。息子の成長を優しく、そして時には厳しく見守る親としての姿と、その時々に生まれる周囲との縁に感謝する伊東氏の姿である。人はどれだけ多くの人に支えられて生きていることか……、心からそう実感させられる一編である。
 
また、伊東氏は毎年、誠氏と共に旅に出ている。行き先は誠氏の希望によるもので、昨年で十年目を迎えたという。そのいくつかのエピソードも本書におさめられている。親が子供に外の世界を見せてあげたいと考えるのは、当然のことだろう。しかし、それを誰もが実現できるかと言えば、決してそうではない。むしろ、叶えられない人のほうが多いのではないだろうか。しかし伊東氏は、様々な体験をさせることが親の務めと、それを実現させている。自分が元気でいられる限りはそばにいて、少しでも多くのことを体験させてあげたいと。文章の隙間からにじみ出てくるご子息、誠氏への深い愛情に触れるたびに、読んでいるこちらの心までもが癒される気がした。同時に、伊東氏の親としての覚悟もひしひしと伝わってくるのだった。さらに伊東氏のすごいところは、旅に出る際、訪れる先の情報を隅々まで把握しておくことである。国土、政治、宗教、経済など、あらゆる分野の情報を丹念に調べ上げ、現地に向かう。そのほうが旅の感動を深められると信じているからであり、それが正しいことは本書を読めば納得できる。
 
三〇〇編の中から四十九編を選ぶ作業は、ご本人の弁にもあるように寂しさを伴ったものだったに違いない。最初の読者である私にとっても、それは同様である。そうして選び出され、一冊にまとめられたエッセイから伝わってくるのは、どんなささいなことにも手を抜かず、何事にも全力で取り組んでいく伊東氏の真摯な生き様である。それがきっと、「利他」の精神へと繋がっていくのだろう。「人生の二毛作」と伊東氏は言うが、二毛作などという言葉で括ることのできない、実りの多い秀作である。
 
幻冬舎ルネッサンス副編集長 峰晴子
 
感想
 
今回の出版は自費出版(参考:ハードカバー上質装丁単行本、330P)である。当初は流通チャネル(一般の書店で販売すること)に乗せることも視野にして見積もりをお願いした。その前提となる規約をみるとは、広告宣伝費などのマーケティングコストが上乗せとなることと、最低の発行部数は1000部以上となること、編集の主導権が出版社に握られることが判った。つまり、自分の意図した企画が出版社の思いと競合したとき出版社の意図が優先することになるという。出版作業の途中で著者と出版社の意見の対立がおきて途中で出版を取りやめるケースもあると聞いた。今回の小生の出版の意図は、上述の通りであるので、自分の思いとおりの作品にしたいので、必然的に自費出版として流通チャネルには乗せないという判断となった。またどんなことでもそうであるが読者層の定義が書物の知的記述レベルと有効性を決めることになる。不特定多数を対象とすれば必然的に全ての記述において平易さが必要となる。その結果文章は冗長となり著者の意図が薄まる懸念が高まる。そこで今回の出版にあたって読者層は、これまでお付き合いいただいた小生のレポートの読者を前提にした。これもまた流通チャネルに載せない理由の一つである。結果的には正解であった思っている。自分の意図を完全に実現するには著者が主導権をもたなければいけないことを実感した。今回は編集者の充分な理解を得て連携を取りながらも、コンテンツの選択はいうまでもなく、その表現方法、章立て、構成方法、装丁デザインまですべて小生の思いを叶えて貰った。中には通常の出版のパターン(慣例)とことなることも多々発生することになった。カバーのデザインは最終的には小生が自らデザインしたものになった。出版の仕事の進め方についても小生のこれまでの仕事のやり方と衝突する場面もあったが建設的な議論を経て、存分にIT利活用が出来て、従来の出版のスタイルとは異なる作業の生産性の改善も沢山あったと思う、結果として自分の意図した通りの作品に仕上がったと思っている。出版社側もこれまでにない仕事の進め方であり学習効果があったのではないかと自負している。作品の品質も満足しているが、同時に、出版という仕事のプロセスを体験したことも同じくらいに有意義であった。これもこれまでお付き合いいただいた読者各位との協創の賜と感謝している。是非、お読みいただきたい一冊である。
 
以上。

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筆者紹介

伊東 玄(いとう けん)

RITAコンサルティング・代表
1943年、福島県会津若松市生まれ。 1968年、日本ユニバック株式会社入社(現在の日本ユニシス株式会社) 技術部門、開発部門、商品企画部門、マーケティング部門、事業企画部門などを経験し2005年3月定年退社。同年、RITA(利他)コンサルティングを設立、IT関連のコンサルティングや経営層向けの情報発信をしている。 最近では、情報産業振興議員連盟における「日本情報産業国際競争力強化小委員会」の事務局を担当。

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