新・玄マンダラ

第2回 二つの壁に「平和」を思う

概要

これまで一年半にわたり、「玄マンダラ」をお読みいただき感謝申し上げます。 平成21年7月から、装いを改め、「新・玄マンダラ」として、新しい玄マンダラをお届けすることになりました。 ITの世界に捕らわれず、日々に起きている事件や、問題や、話題の中から、小生なりの「気づき」を、随筆風のコラムにしてお届けします。 執筆の視点は、従来の玄マンダラの発想を継承し、現在及び将来、経営者として、リーダーとして、心がけて欲しい「発見」を綴ってみたいと思います。 引き続き、お付き合いを御願いします。 職場で、あるいは、ご家庭での話題の一つとしてお読みください。

 昨年、息子の希望でイスラエル巡礼をした。 ガザへの進行が始まる前であった。 そこで体験した「二つの壁」について書いてみたい。

(嘆きの壁に祈る敬虔なるユダヤ人:筆者撮影)
ここには二つの壁がある。 その一つは歴史を物語る「嘆きの壁」である。 「マサダの砦」と並んでユダヤ人の心のルーツとなっているのがエルサレムの神殿の丘の西側の壁、嘆きの壁である。 この壁は、ソロモンが第1の神殿を築いたときの労働者の血と涙の記録であり、ヘロデ王が第2神殿を築いたとされるユダヤ神殿の西壁の遺跡である。 ローマ軍が神殿を破壊したがこの壁だけが当時のままに残ったとされる。 この神殿にはかつてモーゼの石版を納めた聖櫃があったとされている。 神殿の西壁は嘆きの壁とよばれユダヤ人にとってはもっとも神聖な場所とされている。

(嘆きの壁の前での女性の成人式12才:筆者撮影)

この壁の前で、男性は13才、女性は12才で「ミツバ」と呼ばれる成人の儀式が行われる。儀式は月曜と木曜ときまっており、小生達が訪れたときは幸運にも木曜であったので、多くの成人式に遭遇した、御願いして撮影した写真である、家族や親戚の前で、成人を迎える男性、女性が、トーラを朗読することが義務づけられる。 人生の大事な通過儀式である。大人になるという自覚を確立する瞬間である。 日本では、成人式が形骸化していることを考えると、かつての日本における元服式が現代に生きているという姿を彷彿とさせる。 日本では、毎年問題となるような形式的で形骸化した成人式などやめて、家族が集って、娘や息子に成人の心構えを親が伝えるという本来の成人式の形にすることを考えるべきである。 そうした、人生の通過儀式を喪失したことが、子供にとっても親にとっても育成という大事なことを粗末にする結果となり、年を経ても大人になりきれない人間を生み出しているのではなかろうか。 元イスラエルの駐日大使のハリー・コーヘン氏は日本の武士道を学び、日本の文化とユダヤの文化には共通性が高いという話をしていたことを思い出した。

(嘆きの壁の前で祈るユダヤの民:筆者撮影)
もう一つの壁は、イスラエルがパレスチナとの境界に強引に建設をすすめている政治の壁である。 今回の巡礼の地の一つに、ヨセフの故郷であり、イエスが誕生したとされるベツレヘム訪問がある。 ヘロデ王の時代に、ローマ皇帝の命令で国勢調査が命じられた、ヨセフは妊娠しているマリヤを伴ってナザレからヨセフの故郷であるベツレヘムへ戻る、その途中の厩窟でイエスが生まれたとされている。 イエスが生まれた厩窟跡の岩の上に築かれたのが「イエス聖誕教会」である。 このベツレヘムはヨルダン西岸地域のパレスチナ自治区の中にあるので、「壁」を越えなければならない。 一つの国の中に二つの国が存在するイスラエルの現実を実感する瞬間である。 ここには緊張感が漂っている。 ベツレヘムへ入る直前に、我々のガイドは車を降りた、自分はユダヤ人であり、パレスチナのパスポートを所持できないためであるという。 99%は問題ないと思うが1%でも、もしトラブルが起きるとツアーは中止になる危険があるので自分はイスラエル側で待っているという。 ドライバーはアラブ人であるので問題ないという。 そしていよいよ検問にかかる、イスラエル側の検問とパレスチナ側の検問と二つの検問を通過する必要がある。 そこで様々な質問をされるが言葉が分からないのでどんなやりとりが行われているのかわからない。 どうやら日本からの観光であると説明をしているようである。 パスポートが一度回収され点検された。

 同行の一人が今回のツアーの価値はベツレヘムが訪問地に入っていることだと言っていたがその意味をここへきて実感した。 ここからガイドがなくなるのでハイライトの一つである聖誕教会の見学が心配となったが、さすがにそこは現地の観光会社のコネがある、契約している土産物屋の人間がベツレヘムに入ると別の車を用意して、みずから運転して案内してくれた。 このアラブ人は日本語が話せない、英語も実に聞き取れない。 聖誕生教会には世界中から多くの巡礼者が押し寄せて、厩窟の岩盤に触れるために長蛇の列をなしている。 ゆうに、1時間は懸かるであろうと覚悟をした。 くだんの土産物屋のガイドは出口から入り、なにやら交渉をするとなんと割り込みで巡礼ができたことには驚きであった。なるほど日頃から阿吽の呼吸が出来上がっているのかと感心した。 これでは、ユダヤ人のガイドでは手に負えないであろうと思った。  1時間程度の観光のあと、土産物屋に強制収容?されて土産を買うことになる。計算されたビジネスモデルである。 割り込みのお礼の気持もあるし、もう2度と来られないベツレヘムであると思うと皆さん買い物をするものである。 小生もそう思ったので記念にと聖母マリヤとイエスの「イコン」を求めた。

(イスラエルとパレスチナを隔てる現代の壁・パレスチナ側から:筆者撮影)
政治の壁は厚いコンクリートである、厚さは30―40センチ以上あろう、高さ4-5メートルはあろう、延々と殺風景な景色が続いている。 壁に近寄れないためか、イスラエル側には落書きはないが、パレスチナ側に入ると写真にみるような落書きがある、壁のとなりは道路であり隣接して民家がある。 この落書きは、パレスチナ人が書いたものに相違ないが、ライオンがハトを食べている。ハトには、「恐怖のハト」(Bird of terror)とあり、ライオンには金、ドル、石油井戸の印がある、そして、その下に Hypocrisy(偽善)とある。 ハトにはアラブの帽子が被さっている。 想像するにこの落書きは、米国とイスラエルが石油と金を求めてアラブの平和を踏みにじっているという米国の偽善の構造を落首しているものであろう。 米国の中東政策が中東の混乱の原因であり中東では代理戦争をさせられているということを意味しているのであろう。 そして、その右側には、To exist is to resist と書かれている。 パレスチナにとっては、抵抗しつづけることが生存することであるという意味であろう。 主語と目的語がないが、誰が誰に抵抗しているのであろうか。そこには、9・11の遠因が浮かびあがるのである。 嘆きの壁と政治の壁、ここにいまのイスラエルの現実をみた瞬間であった。 戻るときは同じゲートから戻るが、検問は入るときよりもさらに厳しいものであった。

 イスラエルは徴兵制度を引いている。 新人の入隊式は「マサダの砦」で日の出の時間に行われるという。 マサダの砦は、かつてユダヤ民族がローマ軍と最後の死闘を展開して玉砕した地であり、ユダヤ民族の結束の象徴の場である。 終戦後、65年にもなろうが、その間に一度も戦争を体験しないという「稀有の平和」な国が日本である。 だから、「平和」という意味が理解できなくなっている。 わずか、65年前に日本は米国や中国やソ連を相手に戦争をしたのである。 石原慎太郎氏が、米国と戦争したことを知らない学生がいて愕然としたという。 「平和ぼけ」という言葉があるが、その平和の意味さえ知らない時代となっている。 時代はグローバル化の時代となり、世界はフラット化していると言われる。そうした中で、日本民族が世界の民族や国家と、凜として対峙し、将来の民族の繁栄のために自立していかなければならない。 そのためには、国家や民族や家族を守るための健康な闘争精神を内に秘めつつ、世界と協調していかなければならない。 この地に建つと、戦争の悲劇を肌で感じる。 世界は戦争と隣り合わせなのである。 だからこそ「健康なる闘争精神をうちに秘めること」の大事さをあらためて実感する旅であった。

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筆者紹介

伊東 玄(いとう けん)

RITAコンサルティング・代表
1943年、福島県会津若松市生まれ。 1968年、日本ユニバック株式会社入社(現在の日本ユニシス株式会社) 技術部門、開発部門、商品企画部門、マーケティング部門、事業企画部門などを経験し2005年3月定年退社。同年、RITA(利他)コンサルティングを設立、IT関連のコンサルティングや経営層向けの情報発信をしている。 最近では、情報産業振興議員連盟における「日本情報産業国際競争力強化小委員会」の事務局を担当。

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