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第5回 ITを使いこなせない企業の「現場力」

概要

日本企業の売上高営業利益率は、一貫して低下し続けている。その原因はどこにあるのか。本連載ではそれをITとの関連で追跡する。「品質の良さは世界一ながら、肝心の利益が出ない」という悩みの根本は、バランスを欠いた経営手法にある。視野を広げ見る角度をかえれば、今まで見えなかったものが見えてくる。その点を強調したいと思う。

せっかくのITシステム導入でも、即、利益に貢献するとは限らない。そこには共通の原因があって、社内の意識統一が行われていない致命傷が存在する。ITシステムに生きた血を通わせるためには、社内組織が共通の意識をもって動くことが前提になる。営業部門、開発部門がバラバラであり、互いに意思疎通を欠いている最悪の状況では、いかなるITシステムといえども、所期の効果を上げられない。今回は、「現場力」の弱い例を考える。
 
 ITを使いこなせない企業の「現場力」
 
最近の新聞広告で目についたものがあった。「9割の社長・幹部は自分の会社のことを何も知らない」というのである。いささかショッキングなセールス・トークであるが、確かに、それに近い事実は存在している。とくに、自社の「現場力」がいかなるものかを把握しているとは、とうてい言い難いケースが散見されるからである。
 
たとえば、日本ではたえず同業他社と比較して、自社を評価するという習わしが続いている。他社の業績が芳しくなければ、「わが社もやむを得ない」といった納得の仕方である。これこそ「横並び主義」の最たる事例である。ここ20年間、日本企業はこうした同業他社との比較感で妙な安心の仕方をしてきた。それがいま、日本企業の「現場力」を決定的に弱めているのである。
 
「現場力」とは、組織の点検力である。問題点を拾い出しそれを改善していく力であるが、この力はどこから生まれるのか。それは経営トップが現場の動向に目を光らせ、組織の一体感を生み出す努力であろう。その原点を、強力に実行している企業がアメリカのGE(ゼネラル・エレクトリック)である。世界的金融危機後でも、年間教育予算に900億円をかけて人材教育を行っている。しかも、同社ジェフ・イメルト会長の仕事の3割以上がこの幹部育成時間に充てている程である。世界最強企業のこうした社員教育の現状を見ると、「同業他社が業績不振だからやむを得ない」という台詞の出てくる余地は全くない。絶えず「現場力」は鍛えられているからである。
「現場力」は「企業文化」として捉えることが可能である。「現場力」の衰えは、次のケースが一目瞭然にしている。この事例は、河野豊弘『変革の企業文化』からの引用である。「澱んでいる企業文化」では何事も消極的であり、自己保身であり、機会があれば転職を考えているという「ムード」を漂わせている。あなたの会社にこうしたケースのないことを切に希望するが、これは、ひとえに経営トップの自社に対する認識不足から発生している問題でもある。
 
 遊んでいる企業文化 
 
一般的特徴:慣習的。創造性や生産性に関心がない。 
メンバーの信ずる価値観:①利己主義。②自己保全、安全第一。 
経営理念・目標の受け取り方・問題発見:①仕事の意味を知らない。②目標は不明。 
情報収集とコミュニケーション:①情報を集めない。②内部指向。③コミュニケーションは断絶。 
アイデアと行動の自発性:①慣習的、アイデア少ない。②対立意見はない。 
リスクを冒すか:①失敗を恐れる。 
組織構造と協力についての考え方:①上を信頼できない。②互いに分離。 
組織に対する忠誠心:①有利な機会があれば転職する。 
動機付けの態様:①責任は負わない。②夕方5時には帰る。 
業績:①責任・仕事の質が低い。能率低い
 
上記の諸項目を眺めると、もはや社内に活気があるとはお世辞にも言えない。「死んだ」も同然の雰囲気である。これでは、誰でも転職を考えるだろうし、夕方5時には退社して「自分の時間」を持つのは致し方ない。多分、ここまで「現場力」が落ち込んでくるのは、経営トップが方針を明示しない点や、社内情報が共有されていない結果であろう。つまり、IT活用がなされておらず、従来どおりの業務のやり方をしている。それが、社員のやる気を失わせているのだ。
 
この沈滞した雰囲気を打破するには、ルーティン・ワークをITで処理して、それ以降の業務を社員が行うという「工夫」が必要である。ITの活用に関わる話であるが、「コンピュータ・リテラシ」から、「情報リテラシ」への格上げである。つまり、ITを「情報リテラシ」として活用するには、ITを用いた経営戦略の確立が不可欠なのである。そこまでITが活用されてこそ、「本物のIT経営戦略」といえる。手でパソコンを動かすのではなく、頭でパソコンを動かすのである。
 
「澱んでいる企業文化」では、次のような「職場感情」に落ち込む(高橋克徳『職場は感情で変わる』)。沈滞感やあきらめ感から、「冷え冷え感情」になり、さらに「ひきこもり感情」へとマイナス感情が拡大して行くのである。
 
「冷え冷え感情」とは、次のようなものである。 
1.「この先どうなるか分からないという気持ち」
2.「気が重い、やる気が出ない気持ち」
3.「何をしてもどうせ変わらないという気持ち」
 
「ひきこもり感情」とは、次のような気持ちを指している。 
1.「お互いに踏み込まない、関わらない気持ち」
2.「自分は結局一人であるという孤独な気持ち」
 
この、「冷え冷え感情」や「ひきこもり感情」の項目を、「澱んでいる企業文化」の諸項目と比較してみると、ズバリ、両者は重なり合っている。ここまで見てくると、冒頭に指摘した新聞広告の謳い文句である「9割の社長・幹部は自分の会社のことを何も知らない」が、決して誇大であるとは言えなくなる。企業が業績不振を極めている理由の一半が、「現場力」の衰えにあり、それを経営トップは把握していない事実にある。
 
GEが、徹底した幹部社員教育を行っている点はすでに説明した。だが、江戸時代の日本(18世紀前半)でも商人が自主的な「商人道教育」を行っていた事実を忘れてはならない。これは、周知のように「石門心学」であって、石田梅岩に始まるものである。いわゆる「家法」や「家訓」といわれるものは、この石門心学に源を発しており、家業としての商家の末永い繁栄を目指したものだ。
 
この「石門心学」が現代にも通用する点はいくつかある。その一つは、家主(現代では経営トップ)は率先垂範して、仕事に当たらなければならないという点である。自らが範たりうる存在でなければ、下々の者は仕事に精魂を傾けない。何事も相談の上で経営の意思決定を行い、独断専行を避けること。信賞必罰を厳に行い絶えず「学ぶ」姿勢を堅持する、といった諸点を強調している。今から見れば二百数十年も昔の話であり、現代に通用するわけがないと考えるかも知れない。だが、それは誤りである。
 
「石門心学」は組織論として見ると実に興味深い。「商家」という「組織」をいかに維持発展させるかという一点に焦点を合わせているからである。これは、現代であれば「企業発展論」である。「組織」の維持発展には、組織構成員が一致結束して経営に当たる。これはごく常識的な点であるが、「石門心学」においても「和」の重要性として縷々指摘されている。「経営」にはその本質において、時代を超えた原理が存在している、といっても言い過ぎでない。つまり、経営の結果を左右するものは、全構成員の「意識統一」をいかに実現するかにかかっている。これは今も昔も変わらない真実である。
 
「ひきこもり感情」である、「お互いに踏み込まない、関わらない気持ち」や、「自分は結局一人であるという孤独な気持ち」を職場から一掃する。これが何よりも必要なのである。「石門心学」のいう「和=連帯感情」を実現できれば、「現場力」はいやが上にも高まらざるをえないのだ。
 
次回(6回目)は、「理想はCIO出身社長の実現」

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筆者紹介

勝又壽良(かつまた ひさよし)

1961年 横浜市立大学商学部卒。同年、東洋経済新報社編集局入社。『週刊東洋経済』編集長、取締役編集局長をへて、1991年 東洋経済新報社主幹にて同社を退社。同年、東海大学教養学部教授、教養学部長をへて現在にいたる。当サイトには、「ITと経営(環境変化)」を6回、「ITの経営学」を6回、「CIOへの招待席」を8回、「成功するITマネジメント」を6回 にわたり掲載。

著書(単独執筆のみ)
『日本経済バブルの逆襲』(1992)、『「含み益立国」日本の終焉』(1993)、『日本企業の破壊的創造』(1994)、『戦後50年の日本経済』(1995)、『大企業体制の興亡』(1996)、『メインバンク制の歴史的生成過程と戦後日本の企業成長』(2003)

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