次に来る時代~脱情報化社会への序章

【第4回】 いまこそネットワーク社会をわれらがものに

概要

ふと気がつくと、いつの間にかWeb3.0やユビキタスという言葉もどこか影が薄くなってしまいました。わざわざ新しいキーワードを創造する必要もないくらいにICTは社会資本として根づいたということでしょう。また、クラウド・コンピューティングの有効性はもちろん否定しませんが、発想自体は工業化社会の「規模と囲い込みの発想」とか「危険の分散」の法理そのものと同一のフィールドなのかもしれません。このところ「情報全体主義」などという不埒な言葉を思い浮かべることが多いのは困ったことです。『人間の未来』(竹田青嗣)と『21世紀の歴史』(ジャック・アタリ)に強く刺激されながら、ごいっしょに「情報化の未来」を考えていきましょう。

ネットワークという概念は、そもそも19世紀の技術革新のなかで電気回路の構成を示す用語として用いられるようになったといわれています。現在、ネットワークという言葉を聞くと、ノード間が接続された回路のイメージとしてとらえることが多いのはそのためでしょう。
 
さて、講学上、ネットワーク概念を分類すると次のように三つに分けられるというのが一般的です。 
一つは、WWW(World Wide Web)に代表される情報インフラです。世界的に標準化され定型化された情報の伝達・処理(TCP/IP)構造です。「蜘蛛の巣」のイメージです。いうまでもなくインターネットは、当初の目的(軍事的)からして分散型の情報ネットワークを構成しており、かつ機能的な合理性、効率性を高めるための工夫が加えられてきました。 
 
次に、ネットワーク組織という概念があります。LANによって構成される組織内ネットワークやインターネットによって結びついた組織間ネットワークです。情報処理技術の導入によって意志決定の迅速化、効率化を図るだけではなく、組織内学習を通じた組織の革新や企業間の関係を再組織化するためのネットワーク概念です。役割や権限(責任)の体系として強固に構築されてきた官僚組織(ビューロクラシー)を打ち壊し、社員の情報やアイディアを相互作用させたり、結びつけたりする場(「創発」の場)をつくり、新しいマーケット開拓やビジネスチャンスを創出するとともに、マーケティング的発想としてはグローバルな全体最適(SCM)を促進するといわれます。 
 
最後にもうひとつ、新しい社会運動として「ソーシャル・ネットワーキング」という言葉が使われています。これは、管理社会への対抗という形であらわれた新しい市民ネットワーク概念です。強力なリーダーに率いられる従来の縦型の活動ではなく、自発的な市民参加活動です。ゆるやかな横の結びつきの運動(体)を意味します。
 

ネットワーク概念の批判的考察

以上の三つのネットワーク概念を概観されながら、何をお考えになられたでしょうか。たぶん、「三つとも同じ土俵の議論?」ということではないかと思います。

 
現在は、情報インフラとしてのWWWがグローバルに定着し(今回は、デジタル・デバイドの問題には触れません)、それを前提にして、組織の変革や新しいビジネスの創造が志向されています。従って、ネットワークという言葉を聞くと、単なるハードとソフトのシステムを思い浮かべるだけではなく、そのことの効用(ないしは成果)に結びつくはずです。逆に言えば、純粋に技術的な発想だけではなく、そのような目的を事前に共有した上で情報インフラの整備がなされているのです。
 
もちろん、効率化や合理化を超えて、産業社会の官僚組織の硬直性(これが本当に変えるべきなのかも議論がありますが)の打破について、情報インフラの整備と情報ネットワークの構築がどこまで組織論的な役割を果たすのかということには、若干懐疑的な見解もあります。確かに、しばしば社内ネットワークの好事例として挙げられる大企業のインフォーマル・ネットワークが「仲良しグループ」の情報交換の場という以上の、これからの組織構成原理に繋がる取り組みであるとまでは容易に言い難いのが現状だと思います。
 
「ソーシャル・ネットワーキング」というのも、このシリーズで何度か取り上げた『サイバースペース独立宣言』(1996年)を想うまでもなく、インターネットが本来的に備えている可能性のひとつです。少なくとも、インターネットによる情報インフラの充実は、このところ少し遅足になっても『アショカ Ashoka: Innovators for the Public』を例に出すまでもなく、社会のありようを着実に変えて行くことでしょう。しかし、これも従来の「組織化」という耳慣れた言葉がカタカナになっただけだという厳しい批判があることは、心しておく必要があると思います。
 

ネットワーク社会再考

ネットワークという概念についてもう一つの切り口からお話しておきましょう。すなわち、ネットワークが果たす役割を、社会的コミュニケーションという角度から見ておこうと思います。メディアの発達とコミュニケーションが、どのように変化してきたのかを考えることは、ネットワーク社会を考える上でのひとつの参考になるのではないでしょうか。

■メディアと情報の流れ

現代のネットワーク社会が、インターネットを基礎としながらどのようなコミュニケーションを成立させているのかと言うことです。対面の言葉によるコミュニケーションは、人間の表情や状況的コンテキストによって相互理解が補完されます。(心裡留保などがないとして)相互理解による共通の知によって受け手同士のしっかりした人間関係(ネットワーク)が成立します。
 
次に、15世紀からのメディア革命によって、人間は「黙読」という新しい能力を手に入れ『グーテンベルグの銀河系』の輝く星たちになりました。その後の数々のマスメディアによるコミュニケーションの形態は、1:nの一方向の関係性ですから、受け手同士の共通の知(認識)の場の成立は不可能です。もちろん、そのことが近代以降の自由主義、個人主義の本質ですから決して否定的ではありませんが、ネットワークという、いわば横の拡がりの場の成立はなかなか難しいといえます。
 
そうして、登場してきたインターネットというメディアには、本質的に情報の送り手と受け手という概念はありません。あくまでもインフラとしてパソコンが繋がりあうという関係です。ですから、双方向性というのは当然のことです。ここにおいて、インターネットには従来のメディア理解と大きな違いがあります。
 
直接の会話の場合、交わされる情報には、実際に手で触れることのできる(距離のない)人間同士の信頼関係があります。また、マスメディアの情報には、少なくとも情報のプロであるメディア企業による情報選別がなされているという信頼があります。(少なくとも、いまでもそれが基本ルールであり、メディア企業もその自負を公言してはばからないはずです。)
 
しかし、インターネットというメディアを駆け巡る情報には、ほとんどの場合、その情報の信頼性を担保するものがありません。それが故にインターネットの世界に、サーチエンジンが導入され、インターメディアリーといわれる情報(検索)代理業がビジネスモデルとして存在することになります。産業社会における情報観をそのままインターネットの世界に導入したに過ぎないのではないです。
 

これからのネットワーク社会

これでは、インターネットによるネットワーク社会が、新しい社会構成原理として未知の可能性を引き出すことにはなりえません。誰もが、自分で情報を発信できる社会、誰もが、好きなときに必要とする情報を入手することができる社会ではないのです。

 
この状況はすでに、限界を超えた情報の氾濫によるという見方ができるでしょうが、少なくとも人間社会にはそれだけの情報が存在するということも忘れてはなりません。確かに、誤った情報、不必要な情報だけではなく、悪意の情報までもが蔓延する「情報ジャングル」です。ですから現在のインターネットのハンドルネームもしくは匿名による情報提供は、おじさんがあらためる必要があると声を大にしているところです。(サイト開設時のチェックを厳しくし、情報発信の顕名性をルールとして定めればほぼ実現可能なはずです。)
 
そして、そこから始まる新しく、正しい人間関係(ネットワーク)こそが、未来の望ましい人間社会であるべきです。『グーテンベルグの銀河系』から始まったメディア革命は、いよいよ次の社会構成原理として、デジタル・ネットワークという現代的仕掛けを直視するところまできました。世界がどんなに広くとも「ひとりが2人づつ紹介していけば、23回で日本の人口を超える」というのが現実です。気の遠くなるようなものではありますまい。
 
わたしたちが一番恐ろしいのは、情報氾濫などではなく、情報ジャングルに蠢く毒蛇たちと、内心でそのような氾濫を是としているアニマル・スピリットをいまだに乗り越えられないという現実です。そろそろ本気で、ひたすらに競争優位を目指す産業主義精神から脱却し『ポストモダニズム宣言』をしなければならないと感じています。
 
次回は、『21世紀の社会~自由と民主主義のトランスフォーメイション』に挑戦します。

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コメント

筆者紹介

松井 一洋(まつい かずひろ)

広島経済大学経済学部教授
(メディア・マーケティング論、e-マーケティング論、企業広報論、災害情報論) 2004年4月から現職。体験的な知見を生かした危機管理を中心とした企業広報論は定評がある。最近は、地域の防災や防犯活動のコーディネーターをつとめるほか、「まちづくり懇談会」座長として、地域コミュニティの未来創造に尽力している。著書に『災害情報とマスコミそして市民』ほか。

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