次に来る時代~脱情報化社会への序章

【第2回】 産業社会は過ぎ去ったのか?

概要

ふと気がつくと、いつの間にかWeb3.0やユビキタスという言葉もどこか影が薄くなってしまいました。わざわざ新しいキーワードを創造する必要もないくらいにICTは社会資本として根づいたということでしょう。また、クラウド・コンピューティングの有効性はもちろん否定しませんが、発想自体は工業化社会の「規模と囲い込みの発想」とか「危険の分散」の法理そのものと同一のフィールドなのかもしれません。このところ「情報全体主義」などという不埒な言葉を思い浮かべることが多いのは困ったことです。『人間の未来』(竹田青嗣)と『21世紀の歴史』(ジャック・アタリ)に強く刺激されながら、ごいっしょに「情報化の未来」を考えていきましょう。

さて前回、『脱情報化』とは「情報至上主義」からの脱却ではないかと書きました。しかし誤解していただきたくないのは、おじさんは「情報化」に反感や憎悪を抱いているわけではありません。 
 基本的な課題としているのは、つまりこういうことなのです。
 
 
目次
時代区分について
近代のおとしもの
近代批判論の射程
勉強の習慣が付くまでやる

 

時代区分について

人間の長い歴史をいくつかの区分にわけて理解するという方法は、全体の流れを概括的に理解するための非常にわかりやすい手法です。古代―中世(―近世)―近代というのが一般的な区分です。また、広く知られている文明論的な分析としては、トフラーの「三つの波」というものがあります。農耕社会(農耕革命)―産業(工業化)社会(産業革命)―脱産業(情報化)社会(情報通信革命)という区分です。つまり、現代というのは、近代の延長であり、かつ別の表現では情報化社会であるということになりましょう。

 
近代のはじまりは、しばしば中世社会からの三つの解放(科学革命・産業革命・市民革命)と説明されます。近代になって、人間が非科学的な抑圧(迷信・因習など)から解放されて合理的な思考を手に入れ、産業革命によって絶対的貧困から解放され、かつ政治的社会的抑圧からも自由になったというのは決して誇張ではありません。ただし、注意すべきは、市民革命もある日突然に起こった大きな出来事をもって社会構造や考え方が突然180度変わることなどありえません。
 
「はるか遠くへ飛ぼうとすれば、はるか遠くからの助走を必要とする」と言われるとおり、いずこかに湧き上がった小さな波が、いつか社会のあり方を変えるまでの大波に成長していくには長い時間が必要であったはずです。いわんや、社会科学革命や産業革命などは、たとえ新しい理論や技術の発明という目に見えるメルクマールがあったとしても、それが社会に浸透し、文明を変えていくまでの道程にはさまざまな紆余曲折があるはずです。
 
そのような新しい波や流れが閾値(いきち=ある系に注目する反応をおこさせるとき必要な作用の大きさ・強度の最小値【広辞苑第五版】)を超えたとき、大きなストリームとなって社会を飲み込んできたのでしょう。そう考えるのが歴史的にはもっとも自然な視点だと思います。
 

近代のおとしもの

いうまでもなく、今やわたしたちは「豊かな社会」に暮らしています。もちろん、グローバルにみれば、まだほんの一部の恵まれた社会であると言うことは忘れるべきではありませんが、そのことはさておき、わたしたちの近代は、何といっても次のふたつの思想によって導かれてきました。

 
ひとつは、いわゆる「進歩主義的歴史観」です。地中海の海商都市に起源を発すると伝えられる、世界は「自由」、「平等」そして「豊かな望ましい社会秩序」に向かって「進歩していく」という価値観です。「明日は今日よりきっといい日」なのです。世界には、時間の流れは「循環する」という考え方を持つ民族もいると聞きますから、このような直線的右肩上がりの価値観が、必ずしも普遍のものではありますまい。
 
もうひとつは、この進歩史観こそが世界的な常識であるという西欧の普遍主義思想です。この二つの思想には、おじさん自身が胸に手を当ててもまさしく足の先まですっかり感染してしまっています。誤解を恐れずに言えば、わたしたちの依って立つ「成長経済」という発想も「進歩史観」の帰結でしょうし、「旧い」ものより「新しい」ものが優れているという考え方にも色濃くその影を落としています。
 
そんなわけで、わたしたちは二十世紀の後半は、ひたすら前を向いて「よりよい未来」を作るために駆けてきたのであり、そうして、とうとう先進工業国の仲間入りを果たしました。ところが、気がつけば他国も羨む豊かな国になったとはいえ、なぜか国民の多くが不機嫌な顔をして毎日を送り、未来を担うべき若者は、夢や目標すら見失っています。そのうえ、国家指導的立場の官僚や経営者の中にも、社会倫理に背く卑劣な行為を行う輩すらいるのです。
 

近代批判論の射程

しかし、人間の歴史のなかで、西洋からはじまった文明社会のひとつが、他のいくつかの有力な文明を席巻して、普遍的(世界的)な価値観として世界経済を支配するという事実を否定しても意味がありません。それに、そのような時代も多分、長い歴史のひとこまにすぎないはずです。

 
結果論的に、人間は歴史において幾多の過ちを犯してきました。例えば、数次にわたる世界戦争などは、進歩史観に導かれた経済体制の必然なのか誤算なのか、いずれにしても大いなる不幸でありましたし、長い東西対決を経て、近くは「文明の衝突」そのものとは言わずとも、イスラム国との泥沼の戦いを続けています。経済そのものも、相変わらず好不況の波をくり返し、その都度、国の経済政策と企業の経営政策は激しく変動します。
 
もし、進歩史観こそがこれからの人間の未来を担う正しい思想であるとしたら、現代は、いまだその途上であり苦悩のさなかにあると理解すべきなのか、それとも、普遍主義に導かれる傲慢な発想は、すでにその綻びを露呈していると考えるべきなのか。このことは21世紀を占う大きなテーマです。
 
しかし、ただ闇雲に、現代について批判をしても何の解決にもならないことには多くの人々が気づいています。だからこそ、ひとつは、もう一度現代思想への分岐点に戻って、その原因を探り出し歩き直そうということが主張され、一方では、「超」という視野のもとで、これらの課題をまるごと乗り越えてしまう新しい発想を持とうという主張がなされています。
 
ここには重要な教訓があります。21世紀になっても、世界にはさまざまな対立が存在しています。それを未来的に解決する方法は、結局は、上に述べたように、原初的な状態に戻るか、そうでなければ、さまざまな対立を「超」えて行く道を探ることだと思います。インターナショナルではなくグローバルな時代には、そんな「超」える可能性を心から期待したいと思います。
 

産業社会と脱産業社会

産業社会とは、絶え間ない技術革新の競争社会です。人間は知恵を絞って、新しさ(New)への挑戦を繰り返してきました。そして、新商品を市場に提供することで、現代資本主義システムが維持されてきたわけです。その社会構造は、現代も何も変わっていません。安易に「ポスト産業社会」などというべきではありません。脱産業社会が、情報化社会に引き継がれたという発想も、いいかえれば市場経済における商品構造の変化(サービス経済化も含めて)を表すだけではないかと思います。

 
20世紀の後半から、情報化社会と言う用語が一人歩きしたために、もしくはマーケティング的にそのように仕掛けられたために、わたしたちは、何か時代と社会が大きく変わったと勘違いしてしまったのではないかと思います。もちろん、知識社会という分析の妥当性は承認しますし、用法に必ずしもこだわっているわけではありません。
 
今日、おじさんが話したかったのは、進歩史観に基づいて社会システムを構築し、情報化時代という時代区分が、またひとつ人間が進化したという錯覚の中で過ごしてはいけないということです。それに実はまだ、産業社会に替わる新しい時代など来ていないのです。
 
近代を超える新しい時代もまだまだ先のことでしょう。夢のようなことを言えばそんな時代が到来するのは、現代資本主義社会の基盤である株式会社制度に変わる新しい経済の営みの方法が発明されたときのように思います。それが発明されないかぎり、人間社会は、疑心暗鬼におびえながら、反省と自己修正の連続の中で駆け抜けて行くしかない慌ただしい時間のままかも知れません。
 
次回は、情報化時代という時代を、もう一度いくつかの角度から見直してみましょう。

 

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コメント

筆者紹介

松井 一洋(まつい かずひろ)

広島経済大学経済学部教授
(メディア・マーケティング論、e-マーケティング論、企業広報論、災害情報論) 2004年4月から現職。体験的な知見を生かした危機管理を中心とした企業広報論は定評がある。最近は、地域の防災や防犯活動のコーディネーターをつとめるほか、「まちづくり懇談会」座長として、地域コミュニティの未来創造に尽力している。著書に『災害情報とマスコミそして市民』ほか。

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