超高齢社会をITで克服する知恵

第6回 人間に直結する「地域産業」で再興を

概要

今回の連載では、日本がすでに突入している「超高齢社会」を、ITを用いてどのように克服するかを追う。人間誰でも高齢者入りする65歳を過ぎると、しだいに健康面での不安を抱えてくる。特に、70歳を過ぎてくると足腰に「故障」がでるもの。ここで初めて、「ああ自分も歳を取ったな!」という実感がわくのである。この連載では、いかにITを活用しながら、「超高齢社会」を克服するか。その知恵を探すことにする。

目次
人間に直結する「地域産業」で再興を

世界の「福祉大国」として知れるスウェーデンの政治家、学者、ビジネスマンが、2009年大挙して日本での高齢社会シンポジュームに参加した。普通ならば、日本からスウェーデンへ出かけ、高齢社会シンポジュームに参加するもの。それが、逆転した理由は何か。「物づくり大国」日本にこそ、今後の超高齢社会を克服する技術集積がある。そう見込んでの結果とされている。体力の衰える高齢者が、身体に負荷がかからないで作業するには、ロボットを初めとする種々の介助機器が必要になる。そういった機器を開発するノウハウや素材、技術が日本にはごろごろしているのだ。私たちは宝の山にいるが、その有利性を見落としがちである。

 

人間に直結する「地域産業」で再興を

日本は世界を驚かせた高度経済成長の後、一転して「失われた20年」と揶揄されるほどの凋落ぶりを見せた。いろいろと理由は上げられているが、「人口動態」変化に気づかずにいたのである。総人口のうち働き手である「生産年齢人口」(15~64歳)の占める比率が、1991年から低下していたのだ。逆に、日本の高度経済成長を実現した背景には、「生産年齢人口」比率の上昇という恩恵を受けていた。一国の経済は「人口動態」変化から、決定的な影響を受けている。

日本の超高齢社会を乗り切る手法は、今から2050頃を見据えて早手回しに準備することである。それが、高齢社会の関連ビジネスを生みだして、世界のビジネスモデルになる「ビック・チャンス」をもたらすのだ。スウェーデンから一行が来日して、「高齢社会ビジネス」の種探しをしている理由もここにある。

日本人の平均寿命の将来推計を見ておきたい。2010年時点で、男子80.22歳、女子87.08歳であった。それが、2050年には男子83.67歳、女子90.34歳へと延びて行く。今後40年間で、男子は3.45歳、女子は3.26歳も平均寿命が延びる計算だ。寝たきりでなく健康で生きるには、何らかの「生き甲斐」達成という精神面での充実が前提になろう。その場合、いかにして社会と直接関わり合うかが問われてくる。それを実現するのが、「高齢者ビジネス」の役割と考えられる。

「高齢者ビジネス」が、社会と直接の関わり合いを前提にして成立するとすれば、紛れもなく高齢者が生活する「地域」がその舞台になる。個別「地域」の持つトータルな資源が、高齢者の本来的に持っている潜在能力を引き出し、向上させる上で不可欠になるからだ。すなわち、教育・介護・医療から環境・エネルギー、さらに第一次産業まで様々な分野が融合し、トータルな資源を形成して「高齢者ビジネス」を支えて行くのである。

これまでの日本は、「効率」がすべてに優先して考えられてきた。「分散」よりも「集中」という考えがそれを代表した。本連載の第5回で示した表のなかで、「地域づくり」は今後、効率的機能配置から共生・暮らしやすさに変わると指摘してある。多少、効率性は落ちても「共生・暮らしやすさ」がメインテーマになるのだ。ただ、ITの活用を図れば、必ずしも「共生・暮らしやすさ」の効率性が落ちるとは言えまい。「集中」のために、わざわざ「センター」に集まらなければならなかった用事が、自宅でのIT活用で済ますことができれば、またそうした努力や工夫が行なわれれば、「分散」が非効率であると頭から決めつけられない。

「分散」が持つ「共生・暮らしやすさ」を充実させられれば、日本では諦めてきた「出生率」上昇が期待される。「少子高齢化」の現実に直面して、「子育て」がもはや個々の「家庭」の問題ではなく、日本全体の問題になってきた。「子ども手当」や「高校授業料無料化」という施策は、「少子高齢化」が日本全体の問題になっている証拠であろう。社会の意識がここまで進んできたならば、後一押しで「地域産業」によって雇用を生みだす努力へと結びつくはずである。その核が「高齢者ビジネス」であり、教育・介護・医療から環境・エネルギー(第一次産業を含む)まで様々な分野が融合して、トータルな資源を生みだすのである。そして、もう一つ付け加わるものは、「出生率」上昇を可能にさせる「託児所」や「幼稚園・保育園」の確保である。雇用の場と「託児所」問題が同時に解決されれば、自ずと「出生率」は回復するものだ。

その例は、最近のヨーロッパにある。妻が職業を持っている場合、主婦専業のケースと違って、子どもの数は増えているのである。日本では、「少子高齢化」は何か鉄則のように受け取って諦めているが、それは「無策」を肯定するようなものである。仕事と子育ての環境さえ整えておけば、出生率は回復するものだ。ここで一つの挿話を紹介したい。日本で「合計特殊出生率」(一人の女性が生涯に生む子どもの数)が、人口横ばい水準の2.08人を割ったのは、1970年代の前半であったと思う。その当時、これが持つ意味を正確に理解していた政府関係者は皆無であった。人口が減ってもロボットが代役するという程度であったのだ。日本では40年間も人口動態への正しい認識が遅れた。今後、「高齢者ビジネス」という新しい時代のニーズに合わせ、政策の舞台が「中央」から「地方に」移れば、それに合わせた施策が生まれるはずだ。

私の手元に、「都道府県別高齢化率の推移」というデータがある。平成47年(2035)の日本全体の高齢(65歳以上)化率は、33.7%である。最高は秋田県の41.0%。最低は沖縄県の27.7%である。30%未満は愛知県の29.7%と滋賀県の29.9%のみだ。つまり、他の都道府県はすべて30%台に乗るわけで、「高齢化ビジネス」は日本全体の共通課題になってくる。

「地域経済学」は、住民が行政サービスの良いところを選んで住めばよい、といった悠長なことを大真面目に議論してきた。それがいかに非現実的であるかは、前記の2035年の「高齢化率」が、ほぼ横一線に並ぶことによって分るのだ。住民がよい地域を選択して住む段階を超えており、住民一人一人が積極的に「地域づくり」に参加せざるを得ない状況になっている。学問とは、時にこういった夢のような空論を扱っているのである。

生活に直接関わる行政は、国主導から地域主導へとギアを入れ替える段階に移る。地域が自主的に決めた地域基準が前面に出る。これに基づいた行政が不可欠になるのだ。最近の大阪に見られる「政変」は、それを先取りしたものであろうか。問題は、制度設計をしても財源が確保できなければ、「絵に描いた餅」になる。地域金融機関の預金をいかに、その地域に貸出すかが問われる。だが、現実は地元への貸出より国債を買って運用している始末で、地域には資金が還流しないシステムになっている。これをどのように変えるかである。

話はさらに大きくなる。日本の財政赤字をどうするかである。消費税5%で法人税40%という、現行の組み合わせの矛盾に気づくべきである。世界最低の消費税と世界最高の法人税が同居しているのだ。これまで、政治が解答を出さないで逃げ回ってきた。この解決も時間の問題であろう。地域での資金手当てが可能になると、「高齢者ビジネス」は全開する。それしか日本の選択はないからである。いまさら、日本国内での「重化学工業拡大」という夢は、発展途上国の進出という市場制約と、為替相場動向から見てできない相談である。

繰り返せば、「高齢者ビジネス」は地域総合産業としての位置づけがされる。教育、介護、医療、環境・エネルギー、第一次産業などを網羅した形で雇用を生みだすのだ。雇用の場が生まれると人間も集まってくる。それが、出生率回復へとつながれば、すべてここから好循環を形成するであろう。要は、発想を変えて従来の「集中」から「分散」へ、「効率」から「共生・暮らしやすさ」へと頭を切り換えることが必要である。

今回の連載は、これをもって終わりになる。

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筆者紹介

勝又壽良(かつまた ひさよし)

1961年 横浜市立大学商学部卒。同年、東洋経済新報社編集局入社。『週刊東洋経済』編集長、取締役編集局長をへて、1991年 東洋経済新報社主幹にて同社を退社。同年、東海大学教養学部教授、教養学部長をへて現在にいたる。当サイトには、「ITと経営(環境変化)」を6回、「ITの経営学」を6回、「CIOへの招待席」を8回、「成功するITマネジメント」を6回、「ITで儲ける企業、ITで儲からない企業」を8回にわたり掲載。

著書(単独執筆のみ)
『日本経済バブルの逆襲』(1992)、『「含み益立国」日本の終焉』(1993)、『日本企業の破壊的創造』(1994)、『戦後50年の日本経済』(1995)、『大企業体制の興亡』(1996)、『メインバンク制の歴史的生成過程と戦後日本の企業成長』(2003)

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