AI導入、ホントのとこ ~失敗しないための心構えと実践ノウハウ~

第1回:概論

概要

あらゆるところで目にするようになったAI。しかしAIの恩恵を受けるにはテクノロジーへの理解と、正しいアプローチが必要不可欠です。 そこで数々のAI関連プロジェクト・サービスを経験してきた筆者が、AI関連技術に対する基本的な知識と、ビジョンの描き方、導入時のポイントを具体的な事例を交えて各月でお届けします。

目次
「AI」に幻滅期がやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!
「AI」を語るより、口づけをかわそう
「AI」のために
「AI」はおしゃれじゃない

「AI」に幻滅期がやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!

「AI」は近いうちに幻滅期を迎える、という話をよく聞くようになった。曰く、「概念実証(PoC:Proof of Concept)や先行事例の結果が公表されることにより、取り組みの困難さが顕在化し、慎重な姿勢が企業間に広まる」との事だが、なるほど確かにおっしゃる通りである。深層学習の登場で始まった「第3次人工知能ブーム」、まさにブームと呼ぶにふさわしく、「なんだかよくわからないけど、AIでなんとかならないか?」という言葉を顧客や上役達が口にするのを、一体どれだけのIT関係者が耳にしただろうか。冷静に考えてみれば、「なんだかよくわからない」モノに頼ってどうにかしようなんていうのは神頼みである。神頼み自体を否定はしないが、それをデジタルの世界でやろうというのだから、これはもういよいよ、ハッキリ言ってどうかしてしまっているのだが、その「どうかしてしまっている状態」こそ、ブームだ。ブームに振り回される事ほど、後になって愚かに感じることはない。とはいえ、一方でブーム自体は悪ではない。ブームになるからこそ、予算が付き、物事が起こり、進化が進み、その中にはわずかではあるが後の世に残る成功事例も生まれてくる。そう考えれば、ブームが終わってしまうことに、多少なりとも悲しい気持ちも湧いてくるものである。

しかし、「AI」に対して悲観的になる必要はない。あくまでも「幻滅」するだけであって(IR的な価値は下がってしまうのは否めないが…)、少なくとも「AI」そのものの価値が下がるわけではない。ここのところを見誤ってはいけない。ブームの終わりとともに「AI」を諦め、「しょせんははやり物だったね」と、目を離してしまうのではなく、今こそ腰を据えて、しっかりと向き合い、じっくりと育て、付き合っていくことが大事だ。成功はその先にのみ存在する。なぜならば、機械学習・深層学習といった現在主流の「AI」には、膨大なデータと継続的な改善が必須であるからだ。そういった意味では、そもそも短期間でお気軽に効果が出るようなものでは端からなかったのである。求められるのは長期的視点と全体感だ。

今からでも遅くはない。「AI」というバズワードと真剣にわれわれは向き合い、きちんと消化し、自分達なりの答えを出すべき時なのだ。

「AI」を語るより、口づけをかわそう

とはいえ、向き合うといっても一体どうすればいいのだろう。「作って理解する深層学習」的なタイトルのプログラミング本や、やたらと原色の強い参考書を高校数学テキストを片手に読み解くべきか、それとも、Web教育サービスで講座を買うべきか?大金を払って、AIエンジニア養成コースに通うべきか?

答えはいずれもNOだ。

はっきり言って、今更、プログラムや数式と向き合って「AI」の勉強をしたって仕方がない。例えるならばそれは、ちょっとしたスクリプトをPythonで書くために、「はじめてのC」を買ってポインタの理解から始めるような行いである。AI特化のスタートアップに所属しているならまだしも、1から理解して作る必要などどこにも無いのだ。必要なのは科学的アプローチではなく工学的アプローチであり、内部仕様よりも外部仕様。ブームを生き抜き残った本物の「AI」サービス・技術を眺め、それらが一体どれだけの業務効果をもたらす事ができるのか、またその可能性を秘めているのかを見つめることこそが大切である。ブームが終焉を迎えようとする現在、サービスやソリューションとして明確な価値効果、そしてその運用方法について、実例を伴い明確に示せているものこそ本物であり、それ以外は失敗か遅れて来たルーキーでしかない。

そして、その見極めに当たっては、「AI」を不必要に特別視しないことがポイントである。というのも、「AIシステム」からIR的な価値をいったんどこかに捨て去ってしまえば、あとに残るのは、減価償却を迎えるまでの5年に亘って、気長にお付き合いしていくことになる「システム」なのだ。しかも「精度改善のための継続的な取り組み」等という通常のシステム運用では発生しないような作業もオマケでついてくる。したがって、あくまでも冷静な視点で費用対効果を見つめることが大切であり、「AI」という冠に惑わされて通常の判断基準を変えてはいけない。仮にもし、それらを怠った行いが目の前で行われようとしていたら、勇気を持って止める事がシステムに対して真摯に向き合う者としての責務である。それは会社のためだけではない。その怪しげなシステムは、その数ヶ月後にはきっとあなたの元へとやってくるのだ。自分の手元に来てから後悔しても遅いのだ。

 

「AI」のために

前項では「AI」と向き合う心構えについて述べたが、この項では、そもそも向き合うために必要な資格について述べたいと思う。

まずハッキリ言って、データを持たない企業に「AI」を始める資格は無い。先述の通り、現在主流の「AI」には何をするにしても膨大なデータが必要である。しかもただ、大量のデータがあればいいという類いのものではない、学習に必要となる情報を含み、偏りが少なく、整理整頓・クレンジングされたデータである。これが用意できない場合は、まずはデータ収集基盤の構築から始めることが必要である。別の視点から見れば、「分析」という行いの重要性が説かれて久しいこの時代、いまだにその収集基盤すら用意できていない企業には先述したような「AIシステム」の運用を行うことは不可能だ。要は「そんな事(「AI」)よりも、もっと他にやるべきことがあるでしょう」という話である。

では、利用価値の高いデータが大量にあるとして、他に必要なものは一体何であろうか。

それは「AI」という言葉を含まない目的・大義である。「AI」は目には見えない、基本的には裏側の処理の話である。研究組織でもない限り、目的=システムがもたらすビジネス効果に、「AI」という言葉が含まれることはあり得ない。通常の企業にとって、「AI」はあくまでも手段にすぎない。手段が目的になってしまってはいけないのだ。実際、機械学習・深層学習など使わなくても、ルールベースで十分な事の方が多い。いや、ルールベースどころか、まずは手っ取り早く人力でやってみて、その結果がどう活かされるか、ちゃんと狙い通りの効果を生むのかを検証することがまずは必要だ。大切なのは、「How」ではなく「What」である。そして、こういった本質を見失わず、地に足の着いた検証を続けることができる素養。これこそが一番大事であり、それが無いのであれば、誰一人として幸せにならない未来しか待っていない。今すぐに「AI」導入は辞めるべきである。

 

「AI」はおしゃれじゃない

今回は「AI」全般に対してのコラムとなったが、この先の5回は、「画像認識」「自然言語処理」など個別のテーマについてのものとなる。わたしはこの連載でプログラムの話をする気は一切ない。あくまでも「AI」に関する理論的な説明は最小限にとどめ、それよりも、導入時のポイント・効果・運用保守作業について、詳しくお伝えしていく予定である。というのも、ここまで非常にネガティブな論調で「AI」についての所見を述べてきたが、言うまでもなく「AI」は絶大な効果を生み出すことができる。それは間違い無い。ただ、それは、物事の本質をとらえた場合に絶大な効果を発揮するということであり、世の中には、間違った使い方や、使うべきでないシーンでの利用、過度な期待、等々、そういった環境の中で、正しい効果を生み出せていない事例が散見していることが残念でならない。本連載を通して、少しでもそうならないための方策を提示できれば幸いである。

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コメント

筆者紹介

高田 和弥(たかた かずや)
ブレインズコンサルティング株式会社
AI&RPAサービスグループ こらろぼチーム 統括マネージャー

大手ITコンサルティング会社およびIoTスタートアップでの経験を活かし、プロジェクトマネジメント、新規サービス立ち上げ、多数のプロジェクトへの技術支援、社内開発標準化、等に従事し、現在は同社が展開するAIチャットボットサービス「こらろぼ」のサービス統括を務める。

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