成功するITマネジメント

第3回 「情報」生産のプロセス

概要

「IT」自体は身近なものでも、それを統御・管理する「マネジメント」が存在しなければ、ITは宝の持ち腐れになる。ITマネジメントという「頭脳」が存在しなければ、IT投資による「手や足」は十分な効果を上げられない。これから6回にわたり、「成功するITマネジメント」を考えたい。

「データ」と「情報」の違いを前回説明した。これはきわめて重要であるが、大方はまだ混同しているのではなかろうか。この違いをはっきりと理解されるならば、わが国において少しはITマネジメントが定着すると思われる。今回は「情報」がITによって本格的に展開可能であることを考えてみたい。
 
 「データ」と「情報」の関係を次のように示しておきたい。 すなわち、①「日常業務」→(抽出・表現)→②「データ」→(パターン化)→③「情報」→(体系化)→④「知識」という過程をへて経営戦略に寄与する。
 
 ここで②「データ」とは量的な概念であり、それがパターン化されて質的概念としての③「情報」に格上げされる。ここをしっかりと掴んでおきたい。これが「データ」(生)と「情報」(加工)の違いである。換言すれば、量と質の差でもある。そして、④「知識」は「情報」を体系化し練り上げられたもので、経営戦略に活用される。「情報」や「知識」は、日本的な勘やカリスマの「名人芸」による経営と異質なものである。
 
 ITが実用化される前の経営は、「日常業務」から伝票を起こして帳簿を作り、そこで損益を計算するというごとく原始的な方法に頼ってきた。しかしこの段階ではまだ、データそのものが量的に限られていたので、さほど不便も感じずに過ごしてきた。だが、今日この方法では、業務が停滞してにっちもさっちもいかなくなる。
 
 このデータを「情報量」というマスで捉えて、今後どれだけ増えるのかといえば、一説では、2006年に比べて2025年時点で200倍になると見られている。今後の「少子高齢化」の下で、この増大するデータ処理に喰われる貴重な人手を省くには、否応なくITの機能に依存せざるを得ない。ここまでは誰でも異存なく賛成する。
 
 ところが、次なる「情報」へと繋いで行くには、日本の場合、大きな壁が横たわっている。「データ」をパターン化した「情報」や、それを体系化した「知識」へと活用するには、経営をして「職人芸」・「名人芸」と捉えている日本企業特有の「意識」が邪魔をするからである。
 
 日本企業の特色では経営の重要部分において、以心伝心の「暗黙知」が優先する。すべてアウンの呼吸で処理されるから、これが飲み込めない人間は、「KY(空気が読めない)人間」として疎外されかねない。こういう経営環境では膨大な「データ」を処理しても、その後の段階に進めないと、それはただの生データに過ぎない。
 
 そうではなく、「データ」をパターン化して「情報」に格上げしなければ、何らの経営ヒントも得られない。日本的な「暗黙知」経営の限界はここにある。「情報」という形でコード化・符号化した見える形の「形式知」が、企業経営にとって不可欠なのである。この「形式知」によって見事、経営が軌道に乗った有名総合電機T社の実例がある。これを次回の連載で紹介したい。
 
  「形式知」=容易にコード化・符号化できる。アメリカ企業は形式知の管理に注目
 
  「暗黙知」=人対人の直接対話による移転。日本企業が暗黙知の管理を得意とする
 
 話は逸れるが、中国に進出している日本企業が最も悩んでいるのは、人事政策において中国人の「心理」が分からないとされる点だ。日本人特有の「暗黙知」を中国人が理解不能であるのは当然である。この心理の壁を乗り越えるのには、「暗黙知」を誰にも理解可能な「形式知」に変え明示化する。これによって、初めて意思疎通が図られる。
 
 「データ」を「情報」や「知識」に転換して経営戦略に用いる。これが、ITマネジメントの神髄である。ここに到達するため、日本企業はどうしても乗り越えなければならないのが、経営を「暗黙知」として捉える「名人芸」の一掃である。経営をカリスマ的な理解から払拭する点である。
 
 過去の「名経営者」といわれたタイプは、多分にカリスマ性をもって「俺に付いてこい」といった式の経営者を意味してきた。それはデータ量が少ない時代の話であって、「名人芸」での経営が可能であった。現代はそれが不可能である。そうした経営者が率いる企業は「思いこみ」が災いして、倒産はまず間違いないところだろう。
 
 ここで視点を少し変えて、IT活用による経営戦略の樹立が、どのような効果を企業に及ぼすのかを見ておきたい。それはITを用いて、「情報」を前提にした「データ」作成を「自動化」と呼ぶならば、従業員のルーティン・ワークを軽減可能にする。これはいたって陳腐な事柄を指摘していて見落とされがちだが、実はここに重要なる経営ヒントが隠されている。
 
 そもそも人間は、目の前に大量のルーティン・ワークを積まれると、その処理に忙殺されて本来、手がけるべき創造的な経営判断がおろそかになる。この点は、絶対に見落としてはならない。「自動化」によるルーティン・ワーク処理によって生み出される時間的・精神的ゆとりが、「情報」や「知識」を活用した経営戦略の樹立に役立つのだ。これが、「情報化」と定義されているものである。企業内の貴重な人的資源の活用は当然に、こうあるべきであろう。
 
 「自動化」と「情報化」はITを軸にした一対の概念として理解されるべきだが、これは「ITの二面化効果」とも呼ばれている。「自動化」は「従属の効果」、「情報化」は「参画の効果」といわれるが、それぞれ次のように説明されている。
 
 「従属の効果」は、「個人への依存の低減」とか「無人格化」という意味であり、日常のルーティン・ワークをITが代替するものである。「参画の効果」は、「個人のスキル重要性の認識と自発的なやる気の増大」であって、貴重な人的資源の能力を100%経営判断に発揮させる効果を持つ。
 
 以上の話を整理するとこうなる。
 
  「自動化」=「従属の効果」=「無人格化」=「機械が代替」
 
  「情報化」=「参画の効果」=「個人のスキル重視と自発的なやる気の増大」
 
 ITがもたらす効果は上記のように二つある。一見、無機質に見られるITが「自動化」を実現する。これをベースにした「情報化」が、人間にしかできない重要な機能を支援して、「人間に奉仕する」点である。
 
 つまり、第一は「自動化」によって人間の労働を軽減ないし代替してくれる。第二はそれによって生まれる時間的・精神的余裕が、「情報化」をもたらし「個人のスキルを磨き、やる気を起こさせる」のである。換言すれば、①ITが人間をルーティン・ワークから解放する。さらに、②人間が高度の経営判断にITを活用するという構図である。
 
 「情報化」=「参画の効果」が、日本社会の特色にもなっている以心伝心の「暗黙知」と相容れない点は明白である。しかし、高度化する企業社会にあって不可避なのは、「情報化」=「形式知」である。誰が見ても理解できるような、内容と形式の「形式知」を取らざるを得なくなろう。その形式知を活用できるように個人のスキルを磨くことが、最大の競争条件になる。
 
 「カリスマ的経営」が介在できる余地が、もはや全くなくなるのである。「暗黙知」に慣れ親しんでしまい、ITを「自動化」のみに用いているのでは、IT投資効果の半分である「情報化」=「形式知」効果をドブに捨てるに等しい「愚行」ともいえる。「もったいない」という一語に尽きるのだ。
 
 「情報化」してしまえば、それで話がすべて終わるものではない。次の三つが「情報化」に当たって留意しなければならない視点である。
 
   ① 細かすぎる情報 
   ② 加工されすぎる情報 
   ③ 遅すぎる情報
 
 これらは「情報化」の陥る問題点である。
 
 これら三点についてはあえて説明も要しまいが、なぜこのような問題点が出てくるのか。それは、CIOがしっかりと社内のコミュニケーションをしていない結果である。これでは「独りよがり」という批判を浴びるが、社内各部門と十分に打ち合わせをしておけば、上記三つの「問題情報」は未然に防げるのである。
 
 最適情報とは何か。それは業績変動を事前に示す「予兆情報」である。日本経済全体の動きを示す景気動向指数(内閣府が毎月発表)を例にとれば、景気の先行きを約半年から1年前に予知する「景気先行指数」的な「予兆情報」の把握である。内需産業であれば、この「景気先行指数」を利用しながら、自社特有の「予兆情報」を探り当てることも重要な作業になる。要は、工夫しだいである。
 
 次回連載は、「経営トップがIT意識を変える」の予定である。

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筆者紹介

勝又壽良(かつまた ひさよし)

1961年 横浜市立大学商学部卒。同年、東洋経済新報社編集局入社。『週刊東洋経済』編集長、取締役編集局長をへて、1991年 東洋経済新報社主幹にて同社を退社。同年、東海大学教養学部教授、教養学部長をへて現在にいたる。当サイトには、「ITと経営(環境変化)」を6回、「ITの経営学」を6回、「CIOへの招待席」を8回にわたり掲載。

著書(単独執筆のみ)
『日本経済バブルの逆襲』(1992)、『「含み益立国」日本の終焉』(1993)、『日本企業の破壊的創造』(1994)、『戦後50年の日本経済』(1995)、『大企業体制の興亡』(1996)、『メインバンク制の歴史的生成過程と戦後日本の企業成長』(2003)

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