ITの経営学

第6回 元気が出る中小企業のIT戦略

概要

日本企業全体にとってもちろんのこと、とくに中小企業の生産性を上げるには、ITの活用が不可欠である。 しかし、ITを企業戦略に取り入れるについて、ほとんどの中小企業が「それは大企業の話」とか、「ITは金食い虫」といった程度の認識に止まっているのが現実だ。そのなかで、従業員数人といった程度のところが、社長の高いIT意識に支えられて業績を伸ばしている例を今回は紹介したい。

ベストセラーとなった『バカの壁』(養老孟司著)は、何度、読み返してもなかなか示唆に富んだ本である。
皆さんも多分、読んでおられることと思うが、あの本は「常識」の重要性を説いたものと考えられる。ちなみに、「知識と常識は違う」としている。 「知識」とはただ知っているということ。「常識」とは社会で広く受け入れられていること、としている。もう一つ、「利口とバカの違いをなんで測るかといえば、社会的適応性があるか否か」だとしている。 要するに、常識とは社会的適応性があることを意味しているわけで、これは、中小企業のIT戦略においてもいえるのである。
 
前回も指摘したように、中小企業がIT戦略について懐疑的な理由は、ITがらみで過去に高い買い物をさせられて手痛い経験をしていることが上げられる。 これはジャーナリズムにも責任があって、いつもITに関して誇大報道をしてきた点が上げられる。 例えば1970年代に、「高度情報化社会」が目前にくるとか、2000年以降、すぐに「ユビキタス社会」が実現するとかいったユートピア物語を、現実と取り違えて臆面もなく報道をしてきた。 これに対して、中小企業は辟易しているといえそうだ。
 
中小企業がIT投資に関する、「オオカミ少年」的な報道に身構えていることは十分に想像できる。だが、現段階では「利口とバカ」の違いがはっきりする状況に入っているのも事実である。中小企業のIT戦略は、「知識」ではなく、「常識」になっている。
 
ここで多少、お堅い話で恐縮だが、周知の「ランチェスターの法則」を取り上げたい。ランチェスターの第一法則は、「弱者の戦略」ともいわれているとおり、私は中小企業の戦略として位置づけたい。第二法則は「強者の戦略」であり、中小企業とは無縁のものとして省略する。第一法則では、まず中小企業自体が自らを「弱者」として明確に認識することから始まる。弱者には弱者の戦略があるわけで、「強者」の戦略を真似することは自滅を意味している。
 
この「戦略」と「戦術」とはどう違うのか。戦略は、経営の基本方針であり「目に見えない領域」である。戦術とは、その戦略を実現するための「目に見える領域」ともいわれる。この両者をはっきりと分けて考えることが重要である。最近の流行語にもなった「見える化」はさしずめ「戦術」を指しているわけだ。「戦略」と「戦術」は2対1が適当とされている。つまり、戦略が2であれば戦術は1であり、戦略があって初めて戦術が存在することを示している。この2対1の関係は、全体の関係で見れば3分の2は戦略に向けて、残りの3分の1は戦術ということになる。
 
中小企業は弱者であるという前提に立ち「戦略」をたてる場合、ランチェスターは「弱者の5大戦略」を第一法則において提示しているので参考になる。括弧内は私が考える中小企業の戦略内容である。
 
  1.局地戦で戦う(当面は単品で勝負する)
  2.接近戦で戦う(需要家に最も近い位置を占める。例えば地産・地消のごときもの)
  3.一騎打ちで戦う(これも需要家に近いところが需要動向を迅速正確に把握できる)
  4.一点集中で戦う(まず限られたテリトリーで勝負する)
  5.陽動作戦をとる(ゲリラ戦であり、ライバル企業の動向を見ながら戦略を修正する)
 
 
この「弱者の5大戦略」を効果的に打ち立てるには、IT戦略は不可欠である。前回でも指摘したように、「ヒト・モノ・カネ」に恵まれない中小企業が生き延び、発展するにはIT活用以外に途はない。しかも身丈の合ったIT投資を行うことが肝要であり、従業員一人当たり年間IT経費は100万円見当が目安になっている。この100万円見当には、後述の経営戦略や経営戦術など全営業活動に用いる、すべてのIT経費を含んでいる。
 
IT経費は従業員一人当たりで見るのが正しい。一般的に研究者など、IT経費全体を売上高で割って比率を出すが、きわめて抽象的であり、業種的なばらつきも多く、経営判断に用いることは危険である。従って、私はIT経費の対売上高比率方式を採用しないことにしている。
 
経営戦略は経営者の意思決定に関わる部分である。どの市場を標的にするか、商品開発の方向性、提供サービスの種類、価格設定などは、ITを活用しなければ迅速な決定はできなくなっている。結局、経営戦略はIT戦略でもある事実が、ここに明確になると思う。中小企業におけるITの活用は、IT関連費用の低下に伴って、もはや金の問題ではない。『バカの壁』流にいえば、「常識」、つまり知恵の有無の問題になっているのである。
 
従業員一人当たり100万円見当の年間IT経費で済むならば、IT投資によって経営の失敗を最小化するという潜在的メリットが出てくるはずである。換言すれば、最低限のコストで経営戦略をたて、それに基づいた経営戦術を決めて行く。製造業であれば生産活動方針に加えて、営業活動方針、広告方針など一連の営業活動が具体化するわけだ。サービス業でもほぼ同じ過程を経て経営活動が展開できる。
 
本連載2回目(08年1月16日)で、経営戦略のビジネスモデルの策定として、BSC(バランスト・スコア・カード)を取り上げた。従来の財務指標中心の経営戦略が多くの問題点を抱えていることを指摘したものだ。そして、財務指標が意外にも「遅効指標」であり、企業経営としては財務よりも以前の経営の諸過程を重視しなければならない理由を取り上げた。このBSCをもう一度見直して、中小企業にとっていかに重要であるかを論じたい。
 
(図1)BSCによるビジネスモデル戦略マップ
【出典】経済産業省「IT経営応援隊」(2006年4月)を基に、勝又が順序を入れ替えて、BSCの意図を明確にした。
中小企業が最初にやるべきことは、①の「人材と変革の視点」であり、以下、②、③、④の順序に従い成果が出てくる。
 

中小企業において最大の悩みは、従業員の定着率が芳しくなく、愛社心が不足していることである。新潟の中小企業の、ある印刷会社では社員定着率を高めるべく、可能な限り給料を上げる、海外旅行をするなど、考えつくあらゆる方法を取ってきたが効果は少なかったという。そこでたどり着いた最終的な結論は、社長が自ら講師になり、日常の業務に直接関係のない「人間教育」を行って社内における信頼関係の再構築を図った。

具体的には「人間教育」であり、人間としての誇り、日本のあるべき姿、地域社会の今後、といった諸問題についての勉強会を常時開くことにした。さらに、ボランティア活動にも会社を挙げて積極的に参加した。これにより社長と従業員の間の心理的な「壁」が取り除かれて、社内意識が好転していった。この印刷会社では、その後、社員の定着率が格段に上がり、社員の自主的な業務改革活動によって業績も向上した。この結果、超大企業でもなかなか取れない「日本経営品質賞」に輝いて、IT経営の模範企業として認証されるにいたったのである。

この中小企業の例と(図1)とを重ね合わせて見ていただきたい。まず、①社員の精神的な満足感を充足することが第一歩であることを示している。これが基盤になって、風通しのよい職場となり、②商品開発力も上がり、③顧客の満足度も上がるのである。やがて最終的に、④業績も向上するという好循環を描いて、BSCによるビジネスモデル戦略マップは完成する。この戦略マップの原点は社内の信頼関係の再構築である。通常、「高賃金が従業員満足感の原点」と考えられがちだが、そうではないという、きわめて日本的雇用の特色を示している。韓国や中国では、わずかな賃金差でも転職の動機になるが、日本では「やりがい・信頼関係」の確立が雇用定着の条件であることを示している。

BSCによるビジネスモデル戦略に関して、きわめて簡略化した説明をしてきたが、IT戦略がその基礎をなしていることはいうまでもない。上記の中小企業以外でも、IT投資は人材投資という位置づけをしている。それは、IT投資によって社員のモチベーションが向上し、個人能力が引き上げられれば、人材投資になるからである。

すぐれた経営戦略ができれば、必ずそれを実現すべく、すぐれたIT戦略が生まれるはずである。「IT化したいが社内に人材がいない」といった声は、経営者自らが、人材を育てる努力を放棄しているに等しい。人材を育てるのは経営者の任務である。 複雑化する業務プロセスを「勘や経験」でカバーできる時代はとうに過ぎ去った。ITはデータの大量処理を迅速に行うという初期の時代から、今日では経営戦略、例えば、BSCビジネスモデル戦略へと進化している。時代の変化は加速化している。「ITバカ」にだけはなりたくないものである。自社を倒産の危機に追い込むからだ。

全6回にわたった「ITの経営学」は、今回をもって終了する。

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筆者紹介

勝又壽良(かつまた ひさよし)

1961年 横浜市立大学商学部卒。同年、東洋経済新報社編集局入社。『週刊東洋経済』編集長、取締役編集局長をへて、1991年 東洋経済新報社主幹にて同社を退社。同年、東海大学教養学部教授、教養学部長をへて現在にいたる。当サイトには、「ITと経営(環境変化)」を6回にわたり掲載。

著書(単独執筆のみ)
『日本経済バブルの逆襲』(1992)、『「含み益立国」日本の終焉』(1993)、『日本企業の破壊的創造』(1994)、『戦後50年の日本経済』(1995)、『大企業体制の興亡』(1996)、『メインバンク制の歴史的生成過程と戦後日本の企業成長』(2003)

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