ITのお国事情~ITはどこから来てどこに向かうのか~

第3回 マニュアル文化とIT

概要

現代社会はITなしでは語れません。日本においてはソフトウェア開発分野でのIT人材不足が早くから膾炙されていました。問題を解決するために他国の人材に期待を寄せており、現在ではベトナムが注目されています。ベトナムにおけるIT事情は日本のそれをはるかに超えている面もあります。現地での生活環境、オフショア開発需要、文化・国民性の違いや商習慣の違いからくるITへの取り組みの違いをコラムにしていきます。

第3回 マニュアル文化とIT

日本はマニュアル文化だと言われることがあります。
この言葉は通常の会話の中ではネガティブなイメージで使用されることが多く、マニュアル文化と聞いて思い浮かぶのは、型通りの仕事しかできなく、イレギュラーが発生した場合に対応ができないという状況かと思います。どういう経緯でこのようなイメージが定着してしまったのかその理由はわかりませんが、この言葉は現実世界からは乖離しているように思われます。
このコラムの読者はシステム管理等、何らかのシステムに関連している方が多いと思いますし、ユーザーのためにマニュアルを作成した経験のある方もいらっしゃるかと思います。作成する立場からすると、マニュアルに記載されていないイレギュラーが発生することは当然想定されていることでしょうし、イレギュラー発生時も、「マニュアルに書かれていないから対応できません」という、つれない対応をすることはないと思います。
よくお役所仕事がマニュアル文化の弊害の実例としてあげられていることも見かけられますが、私の個人的な経験としては、役所でそのような対応をされたことはありません。ただし、「担当する課はここではないので、あちらの課で聞いてください」という対応をされることはあります。この対応は当然のことで、むしろその部署ではユーザーの要望・質問に対して応えることができないので、わざわざ親切に対応可能な部署を教えてくれているという見方もできます。
こうして考えてみると、マニュアル文化という言葉にネガティブなイメージが付きまとっているのは、実はユーザーが不適切な要望を不適切な部署に持っていっているからかもしれません。確かにユーザーからすると適切な部署がどこかなど知る由もないことですので、システム側の立場、ユーザー側の立場でそれぞれの思いがちぐはぐになってしまうのは現状ではしょうがないのかなとは思います。
私も海外に駐在するまでは日本のマニュアル文化には弊害の方が多いと考えていました。現在ではマニュアル文化はユーザーのことも考えられている良い文化だという認識です。

現在私はベトナムで給料を受け取り、その一部を日本に送金しています。当然こちらで口座を開き送金手続きをしなければなりません。口座を開くのも大変でしたが送金できるようになるまではそれに輪をかけて手間がかかりました。
口座開設、日本への送金も可能とのことでしたので、ベトナム民間銀行最大手で手続きをすることにしました。最初は会社の近くの支店で手続きをしました。口座開設に必要とされている、就業許可証、在留資格、会社の労働契約書、パスポートを準備して支店に向かいました。()内にその時の私の心の声も記載しました。

訪問一回目:労働契約書の契約期間が「2023年5月~2023年3月、11か月間」となっており、期限年が違っているため口座開設できず。正しくは2024年3月迄。
(いや、それは明らかに誤記ってわかるだろ。でも指摘は正しいのでしゃーない)
訪問二回目:誤記を修正してもらい翌日再挑戦。契約期間「2023年5月~2024年3月、11か月間」がまた問題。12か月以上の契約でないとダメということで口座開設できず。
(いや、昨日言わんかい、今気が付いたんかい。まぁ国の法律だったらしゃーない)
訪問三回目:口座開設成功。次は送金手続き。日本の自分の口座に送金しようとしたところ、本人の口座には送金できないとのこと。なんでもマネーロンダリング防止のためとのこと。
(いや、知らんがな。ベトナム語でもいいので何か必要な手順リストとかないの?)
訪問四回目:奥さんに海外取引可能な銀行に新しい口座を作ってもらい、また念のため住民票のコピーとパスポートのコピーを写真で送ってもらい再チャレンジするも、結婚証明書がないとダメと言われる。また住民票も、「JAPAN」の文字がどこにも入っていないから正式な書類として認められないとのこと。
(ちょっ、どうすればいいの?そもそも日本で結婚証明書って聞いたことないけど。口座開設前に日本に送金できるかって確認したときにできるって言ったやん。どうやればできるか教えてよ。)
訪問k回目:…は、思うところもあって、毎日通っていたその支店に見切りをつけてほかの支店に行ってみることにしました。ベトナムでは、それがルールなのか担当者の意見なのか判別できないという経験もあったため、それに賭けてみることにしました。別の支店では、そもそも海外送金はできないと言われました。最初の支店でさんざん書き直し、それでも未完成だった申請書を見せたのですが、それでもだめでした。
訪問k+1回目:3件目の支店を訪問しました。思った通りです。最初こそ海外送金のやり方はわからないとのことでしたが、そこで書きかけの申請書です。受付の女性はいろいろと調べてくれて、無事申請書を完成することができました。その後、一点足りない文書があるということで、振込先銀行口座が実在するものであることがわかるような資料をzaloというSNSアプリにて送付しましたが、何とか無事送金することができました。最初は1時間弱かかりましたが、今ではその支店に行くと10分ほどで手続きが完了するようになっています。

どうでしょうか。今回の経験で、店舗ごとに対応が違う、担当者ごとに知識レベルが違う、担当者ごとに解釈が違う、という感想を抱きました。要するに業務がマニュアル化されていないのだと考えられます。日本であれば、「口座を開きたい、その口座から海外送金したい」旨を伝えれば、必要な書類、必要な手続きのリストを教えてくれるような気がします。それもどの担当者でも同じリストが出てくると思います。どの店舗でも高品質で同一サービスが提供できるというのはマニュアル文化の大きな利点です。さらに、マニュアル化されているということは必要情報、必要作業が明文化されているということですし、そしてそれら作業をどの順番でやっていけばいいかという手順も確立されているということです。またマニュアルの利点のもう一つは、仮に何か問題が起こり手順の見直しが必要になった場合、対象となるステップのみに着目して、そこを改善していけばいいということです。なんだかマニュアルって業務IT化に対する設計書のような気がしませんか。マニュアル化とIT化というものは結構距離は近いのかもしれません。

日本はマニュアル文化だというのはその通りだと思いますし、なんでもマニュアル化しようとする気質があることは否定のしようもありません。冒頭にも述べましたがこの言葉にマイナスイメージが定着してまったのは非常に残念なことです。われわれ日本人は自分自身で気づいていないだけで実はIT化に向いているのだと思います。これにはマニュアル化可能なものに限るという但し書きがつきますが。新しいサービスいうのはマニュアル化できない分野でもあるので日本初のITサービスが生まれてこないというのもここに理由の一つがあるように感じられます。
ベトナムではいわゆるマニュアルに出会う機会はあまりありません。新しいITサービスが導入されるベトナム、既存業務をITに置き換えている日本との違いはここにある可能性があります。ここからは妄想になりますが、各国のマニュアル文化度とITサービス分野の相関を取ると強い関係がみられるのかもしれません。

 

 

 

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筆者紹介

安部聡(あべさとし)
1966年生まれ。ティンヴァンソフトウェア所属。1990年松下電器(現パナソニック)の研究所に入社。通信関係の組込み開発者として業務に従事。3G/4G通信システムの研究開発を行う。2010年にパナソニックR&Dセンターベトナムの責任者として4年間ベトナムに駐在。帰国後FPTのマネージャーを経て現在に至る。入社当時は開発の傍ら、ルーティングテーブルを手動で設定しUUCPやsendmail.cfをゴリゴリ書いて外界と接続するというネットワーク管理の仕事を経験。また有志によってテープカートリッジで郵送回覧されるフリーソフトのインストールやアップデート等システム管理的な業務も経験。当時とは比較にならないほど複雑化したシステムのメンテナンスを行っているシステム管理者には頭が下がります。
所属会社はハノイに本社を置くソフトウェア開発会社。日本関係のソフトウェア開発を実施する事業部を設立し、リソース提供、ソリューション提供を実施中。
現在はベトナムのハノイに駐在中。特に趣味もないため週末は自宅でYoutubeやNetflixを鑑賞しています。

【会社URL】
https://tso.vn/ja

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