IT部門におけるプロジェクト・マネジメント

第1回 IT業界におけるプロジェクト・マネジメントの大まかな歴史

概要

IT部門におけるプロジェクト・マネジメントについて、大規模プロジェクトの実体験を基に、実際に有効な手法や方法論、重要な仕組みおよび配慮すべき事項等を具体的に展開していくとともに、筆者のプロジェクト・マネジメントに関する考え方を述べていきます。

皆さんはご承知のことかと存じますが、1946年にMIT(マサチュセッツ工科大学)で開発されたENIACが、世界最初のコンピュータだと言われている。当時のコンピュータは真空管18,000本を使い、長さ45m、幅1m、高さ3m、重さ30トンという巨大な装置であり、大砲の軌道計算に12時間程度を要したそうである。プログラム・ロジックはハードウェアで作成され、ソフトウェアという概念は未だ無い時代であった。当時のコンピュータは軍需目的であり、大砲の着弾地の計算(命中率の向上)であった。その後、ENIACの開発に携わった研究者達(プレスパー・エッカート、ジョン・モークリ、フォン・ノイマン)は、UNIVAC社(現UNISYS社)やIBM社で商用コンピュータの開発に中心的役割を果たし、現在のIT産業隆盛の基礎を築いた。

その後、ムーアの法則(18ケ月で2倍の集積度にアップ)と呼ばれた半導体技術の進歩によりハードウェアのコストパフォーマンスが向上し、1970年代後半には大企業のほとんどがITシステムを活用できる時代になった。1970年代迄のITシステム開発は、未だハードウェアが高価だったので、少ないメモリと少ない実効命令数でプログラムを作成する技術が重要であり、ITシステム開発のプロジェクトにおいてはこのようなプログラミング技術を持つSEの育成や確保が最重要の課題であった。その頃は業務システムのプログラミング量もシステム・インテグレーションの作業量もそれほど大きくなく、プロジェクト・マネジメントという言葉もあまり聞かれなかった。プログラミング技術の優れたSEを確保すれば、ITシステムの構築はほぼ成功した時代だった。

ところが、1970年代の後半から1980年代にかけて第三次オンラインバンキングシステムの構築が始まると、大規模なITシステム開発が全銀行横並びで始まった。さらに、1980年代後半に入ると高度成長時代の追い風を受けて、大企業や公官庁でも大規模なITシステムの構築が急速に増加していった。こうした大規模ITシステム構築の急激な増加により、IT技術者が大量に不足し、技術力(経験年数)の未熟な要員を大量に活用せざるを得なくなり、自社のIT技術者以外にもIT技術専門の企業(ITメーカ、SI企業、ソフトハウス)の技術者を大量に動員した。このような環境下では、プロジェクト・マネジメント方法がプログラミング技術よりも重要になり、優秀なプロジェクト・リーダー(良いプロジェクト・マネジメント手法を備えている人)の選定が最重要の課題になった。

ところが、当時はプロジェクト・マネジメントの教育カリキュラムや教育機関も無いので、勘、度胸でプロジェクトを実行して結果的に成功した人が「プロジェクト・マネジメント能力のある人」と評価された。しかし、過去に大規模プロジェクトを経験した人がきわめて少なかったので、各企業が「プロジェクト・マネジメント能力のある人」を探したり育成するのに大変な苦労をしていた。その結果、当時の大規模プロジェクトにおいては、問題が発生せずに完了することは稀であり、スケジュールの遅延、実現機能の縮小、サービス開始後のトラブル発生などの問題が多数発生した。業界誌で「問題プロジェクト」が話題になったのもこの頃である。

こうした経緯を経て、ようやくプロジェクト・マネジメントの重要性が認知され、やっとIT業界でプロジェクト・マネジメントの方法論やプロジェクト・リーダーの育成についての本格的な取組みが始まった。「ITシステムの作業の標準化」、「ITシステムの見積り手法」、「ITシステムの設計手法(データ中心アプローチなど)」、「ITシステムのWBS」、「ITシステムの進捗管理手法」、「ITシステムの品質管理手法」、「IT作業の契約方法」などの多様な重要要素が知識体系化や方法論の対象となって研究された。こうした方法論以外にも、「動機付け」、「意思決定」、「コミュニケーション」などの心理的側面(欲求など)や人間関係面が、企業マネジメントと同様にプロジェクト・マネジメントとしても需要な要素であることが分かった。成功した企業のマネジメントや優勝したスポーツチームのマネジメントの実例を学び、ITシステムのプロジェクト・マネジメントの参考にしようとする試みも見られるようになった。

一方、組織の能力を評価する方法論「CMM」が米国で生まれ、米国の国防省やNASAは、これをIT企業の能力評価に利用してITシステムの発注先企業を選定するようになった。CMMの評価レベルを向上すれば、プロジェクト・マネジメント能力が向上したことになるのでCMMのレベル4、レベル5を目指す企業も出てきた。

以上を整理すると、1970年代の後半から1980年代にかけてITの大規模システム構築が急激に発生したが、プロジェクト・マネジメント技術や方法論が未熟のために、勘・度胸で実行せざるを得なかった結果、多くの問題プロジェクトが発生した。こうした中で数少ない大規模プロジェクトを成功に導いたプロジェクト・リーダーがスーパーSEとして話題になった。このためにスーパーSEの育成方法が話題となり、各方面で色々試行したが、スーパーSEの育成は極めて困難なことが分かった。このことを契機にスーパーSE頼り以外の成功手法として「プロジェクト・マネジメントの方法論」や「プロジェクト組織の仕組み」などを研究した。また、企業経営手法やスポーツチームの成功事例から、人間関係や心理的側面もプロジェクト・マネジメントの重要な要素であることも分かった。更に、プロジェクト・チームの組織能力向上という視点から、CMMを組織能力評価のみならず組織能力向上に利用することも始まった。

当初はプロジェクト・リーダーの手腕がプロジェクト・マネジメントの重要な要素だと考えらていたが、成功した企業経営のマネジメントなどを研究していくうちに、プロジェクト・マネジメントに必要な要素は、経営の方法論や心理学的側面や人間関係面などを取入れた幅の広い要素が必要であり、幅広い知識と実際の体験が重要なことが明確になった。

筆者は下記の項目が知識や方法論として重要な要素だと考えている。

プロジェクト・マネジメントの知識・方法論
プロジェクト・リーダーの能力
プロジェクト・メンバの能力
人間関係・心理学的側面の仕組み
組織能力の向上手法
ステークホルダー間の関係
以後、上記の項目について、筆者の経験を踏まえて触れていくことにしたい。

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筆者紹介

佐野詔一(さのしょういち)
1945年生まれ。
富士通㈱(OSの開発&大規模ITシステム構築に従事)および(株)アイネット(大規模ITシステム構築&ITシステム運用に従事)において、大規模ITシステム構築&大規模ITシステム運用経験を経て、現在はITプロジェクト・マネジメント関係を専門とするITコンサルタント。産業能率大学の非常勤講師(ITプロジェクト・マネジメント関係)を兼任。

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