デジタル海流漂流記

第3回 スマートな(かしこい)電子機器たちとの邂逅

概要

「木の葉のような小船に乗って、高波が次から次へと押し寄せるデジタル海峡に漕ぎ出した、身の程知らずの団塊の世代」の好奇心だけは旺盛なおじさんが、悪戦苦闘しながら過ごしたビジネス人生を振り返りながら、「わたしたちは、どこから来て、どこへ行くのだろうか」という人間の普遍的ともいえる問いかけのこたえを模索する物語を連載シリーズとして掲載いたします。

電子手帳の出現

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ビジネスマンの必携品といえばなんといっても手帳です。たいがいのビジネスマンは,入社したては会社支給のものを使いますが,ビジネス上の付き合いが広がると仕事関連の会社から頂戴したなかで気に入ったものを使う時期がきます。そして,それにも飽きてくると,10月の半ばには,本屋の店先に並ぶさまざまな手帳を前に,自分なりのビジネス生活の演出を試みます。ここで手帳談義をしようというのではありません。実は,個人のビジネススタイルにデジタル化が侵入(?)し始めたのが,電子手帳と呼ばれた記憶媒体でした。

もちろん,好奇心旺盛なおじさんも電子手帳に挑戦しました。1980年代半ばころでしょうか。ところが,こいつは記憶媒体ですから,とりあえず必須のデータを記憶させるまでがたいへんでした。それも,現在のパソコンのように容易に情報を入力できるわけでもありません。意地になって徹夜で入力しても,誤った操作を一回すれば,すべてのデータが一瞬で消滅するという恐ろしいグッズでした。樽に刀を刺していく一触即発ゲームに似ていました。

記憶は薄れてきましたが,年末年始の休日をほとんどつぶして住所録を数百件も入力し,初出の朝,会社にいただいた年賀状から住所を数件,追加で入力していたとき,間違いを訂正しようとしたとたん,すべてのデータが消えてしまいました。それ以来,電子手帳はおじさんの天敵となりました。それでも朝の電車で,タッチペンを片手に電子手帳を器用に使いこなす若者には,眩しい視線を送り続けていました。なんとも不器用な人間でした。

そうそう,当時のビジネスマンのもうひとつのできる男スタイル(!)は,システム手帳でした。皮製表紙の分厚い手帳をむき出しで片手に携えたスタイルはなかなかカッコいいものでした。通勤電車で横に座った人の誇らしげに開いた手帳を盗み見しますと,びっしりと書きこみがなされています。「よし,今度はこれだ!」と食いつきましたが,おじさんは,そんな分厚い手帳に日程以外にあまり書きこむ内容が思いつかず,あえなく数ヶ月で挫折しました。そのころは,「システム手帳の使い方」というような本がベストセラーになっていたようです。そんな企業研修まであったのですから呆れてしまいます。

ここで教訓。
そもそも,普通のビジネスマンにとって,手帳には会合のミーティングくらいしか,しっかりメモしておかなければならない予定はないのです。電子手帳も,システム手帳も,どうもそのあたりに無理があったように思います。あれは,どこにでもいるメモ魔か,広告代理店の営業マンの若干,はったり的(?)スタイルではなかったか,とは言い過ぎですが,おじさんなどは,ビジネスマンのおわりのころは,薄くて軽い日経ビジネス手帳派でしたし,ここ数年は学生手帳を愛用しています。

その後,電子手帳は外部メモリや通信機能もついたPDAスタイルに発展しましたが,不思議なことに,紙ベースのシステム手帳と競争になりました。これは,郊外レストランの競争相手は,(同業者ではなく)コンビニ弁当だったということにも通じるところがあるかもしれません。すなわち,どちらも記憶媒体として,個人情報の散逸を防ぐという目的のための道具であって,そこに特別の差異はないということでしょう。なお,やはり不思議なのですが,あの電子手帳やシステム手帳は,どこへ消えてしまったのでしょう・・・。

閑話休題~デジタル時計と電子ゲーム

おじさんがビジネス界にデビューした1970年代は,なけなしの給料から月賦(!)で,高価なブランドのアナログ時計を購入したものです。ところが,しばらくすると多様なデザインで,非常に安価なデジタル時計がどんどん供給されるようになってきました。時計は高級志向から,コモディティに変化し,あっという間にさまざまな電子機器の付加物にまでなってしまったのです。

時計とは,わたしたちの貴重な生の時間を刻む重要なツールです。その位置づけがデジタル技術によって変わりました。このころから,アナログ発想とデジタル発想という言葉が出てきました。すなわち,量的,視覚的に判断するか,数値的に判断するかということでしょうか。時計について言えば,アナログ表示だと時間を感覚的に理解できますが,デジタルだと足し算や引き算が必要になります。

アナログ時代の遺物のおじさんなどは,デジタル時計の表示もアナログ表示板に頭の中で置き換えて,時間を判断しているようなのです。アナログ人間というのは,時間を物理的尺度に置き換えて考えています。一方,デジタル人間の時間の流れとはどういうものか,おじさんには理解できませんが,ひょっとすると歴史や時間に対する考え方がまったく異なるのかもしれません。これを解明しないとおじさんたちと若者の時代や人生に対する感覚の違いを理解することはできないのではないでしょうか。これは重大問題です。引き続き考えていきましょう。

さて,もうひとつのデジタル機器は電子ゲームです。すぐに思い出すのは任天堂のゲーム&ウオッチです。そこから,現在の多機能コンピュータゲームにいたります。また,一方で,「たまごっち」というゲームは,現在も大学生にまで人気の不思議なアイテムです。この電子ゲームのブームは,さまざまな社会現象を引き起こしました。「オタク」という言葉もこのころから使われはじめました。電子ゲームはパチンコという大人のゲームにも大きな変化をもたらしたようです。最近では,かなりの物語性と賭博性を持ったものになっているようです。(おじさんはパチンコをまったくしませんので,これ以上コメントできません。)

最近は,甲高い電子音がいたるところから聞こえてくる時代です。人間の音に対する感性にも大きな影響を及ぼしたことでしょう。すなわち,デジタル化とは,人間社会の大改造なのではありませんか。19世紀から20世紀にかけて,マルコーニの無線技術発明にはじまり,テレビジョンの普及などによって,実際には聞こえない音を聞き,見えないものを見ることができるようになった時代,人間社会の発展とは,空間の物理的な拡張でした。それが,デジタル技術の発明によって,現実にはありえない音や物語を想像力によって作り出す仮想空間の拡張が可能になったのです。この拡張には物理的な限界がありません。人間は,デジタル化という禁断の果実を再び口にしたのかもしれません。

携帯電話

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さて,いよいよ携帯電話の登場です。携帯電話もアナログからデジタルへ,急激に変化を遂げた電子機器のひとつです。物の本に拠れば,携帯電話構想は,電話が考案されて間もなくから存在したようです。すでに第二次世界大戦時に,アメリカ軍はモトローラ製の携帯電話もどきを使用したのだそうです。そして,世界初の携帯電話の実用化は,1979年,世界に冠たる技術立国,わが日本においてなされました。誇らしいことです。

1980年代のおわり,おじさんが管理職に昇格したとき,会社から個人用の携帯電話が配給されました。当時のものは,かなり大きく,重いシロモノでしたが,なんともいえないステータスを感じたものです。もちろんその携帯電話はアナログ式であり,通信もしばしば途切れましたが,携帯電話がポストに割り当てられ,人事異動時には携帯電話の引継ぎがありました。なかなか携帯電話を後任に引き継がないという不埒な管理職もおりました。笑い話ですが,遠いところから電話すると声も遠かったのが当時の携帯電話でした。

携帯電話のビジネス社会への導入は,はじめは,こうして社用として普及しました。その後,通信技術の発展は目覚しく,1990年代半ばの第二世代といわれるデジタル化によって,利用の範囲は単純な音声移動体通信としての役割から,インターネット網への接続によるメール利用にも広がりました。そのころから携帯電話で写真を撮ったり,ゲームをインストールしたりすることも可能になり,電子ゲーム機が衰退する引き金にもなったようです。

2000年代に入ると,第三世代に入り,テレビ電話が可能になり,パソコンと接続して高速データ通信が行えるようになりました。2006年時点では世界中で20億人以上が携帯電話を持っているといわれています。すでに,第二世代くらいから,携帯電話は私用,公用を問わず先進工業国の人間にとって生活の必需品となりました。人間同士がポケベルで繋がった細くて,断片的な糸は,10年ほどの間に連続的な強固なネットワークに成長しました。その一方で,携帯電話に組み込まれたメールが非同期のコミュニケーションを充実させ,人間は,コミュニケーションの形態も自らの受発信する情報の種類により自由に選択できる時代になりました。

こうして20世紀の後半には,情報は,デジタル化され,管理され,伝達されるようになりました。そんな中で,時間と空間に対する観念は大きく変わってきました。時間は,流れからビットという細切れの状態になり,空間は無限(デカルト空間)になりました。そして,人々の心には,時間も空間も思うままに自己管理できるという恐ろしい発想が芽生えました。それは,人間の生に対する冒涜もしくは驕りに結びつくものでもありました。

マーシャル・マクルーハンは,情報化の進展は『グローバル・ビレッジ』を作り出すといいました。バックミンスター・フラーは,『宇宙船地球号』という発想を提示しました。それらは,人間の心豊かな未来への希望の響きを持っていました。しかし,一方で,フランシス・フクヤマは『世界のおわり』を謳いあげ,サミュエル・ハンチントンは『文明の衝突』で一世を風靡しました。不安と不幸の黙示録でした。そして,後者の予言が世界を席巻しています。

デジタル化は,今までになかった人間のコミュニケーション・ワールドを創出しました。一方で,新しい種類のオタクや夢遊病者を増殖し,電磁波問題という課題まで投げかけました。「デジタル化という文明は,人間を幸せにしたのか」という問いかけへの答えを早計に出してはいけないでしょう。いや,おじさんはこの問いをこう修正します。「人間は,デジタル化を正しく使いこなしているか?」。

次回は,いよいよパソコンとインターネットです。その後,波高いデジタル海峡は,どこまで広がり,それを渡りきったとき,どんな地平が広がっているのか,21世紀の幸せ探しに向かいましょう。

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筆者紹介

松井一洋(まつい かずひろ)

広島経済大学経済学部教授(メディア産業論,eマーケティング論,災害情報論) 1949年生れ。大阪府出身。早稲田大学第一法学部卒業。阪急電鉄(現阪急HD)に入社。運転保安課長や教育課長を経て,阪神淡路大震災時は広報室マネージャーとして被災から全線開通まで,163日間一日も休まず被災と復興の情報をマスコミと利用者に発信し続けた。その後,広報室長兼東京広報室長、コミュニケーション事業部長、グループ会社二社の社長等を歴任。2004年4月から現職。NPO日本災害情報ネットワーク理事長。著書に『災害情報とマスコミそして市民』ほか。

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