デジタル海流漂流記

第1回 旅の始まり

概要

「木の葉のような小船に乗って、高波が次から次へと押し寄せるデジタル海峡に漕ぎ出した、身の程知らずの団塊の世代」の好奇心だけは旺盛なおじさんが、悪戦苦闘しながら過ごしたビジネス人生を振り返りながら、「わたしたちは、どこから来て、どこへ行くのだろうか」という人間の普遍的ともいえる問いかけのこたえを模索する物語を連載シリーズとして掲載いたします。

漂流記譚

ダニエル・デフォー(Daniel Defoe)が書いた『ロビンソン・クルーソー漂流記』(The Life and Strange Surprising Adventures of Robinson Crusoe、1719)は、子どもの頃に冒険の夢をかきたててくれた不朽の名作です。ロビンソンは、乗船が難破してひとり孤島に漂着します。それから28年、さまざまな工夫をしながら逞しく暮らしていく、実話をモデルにした物語だと言われています。

その後、この物語は、『資本論』(カール・マルクス)や『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(マックス・ウエーバー)でも触れられていますし、わが国でも『社会科学における人間』(大塚久雄、岩波新書)に、「ロビンソン物語に見られる人間類型」として詳しく分析されています。まさしく、ロビンソン・クルーソーの生活スタイルは、18世紀における社会モデルであり、当時の経済人の原型であると考えられているのです。

どんな物語でも、その作者が生きた時代の社会・経済状況が色濃く反映するものです。そんなことをつらつら考えながら、今月から6回にわたり、昭和50年(1975年)前後に、「木の葉のような小船に乗って、高波が次から次へと押し寄せるデジタル海峡に漕ぎ出した、身の程知らずの団塊の世代」の好奇心だけは旺盛なおじさんが、悪戦苦闘しながら過ごしたビジネス人生を振り返りながら、「わたしたちは、どこから来て、どこへ行くのだろうか」という人間の普遍的ともいえる問いかけのこたえを模索してみたいと思います。

ビジネス生活のはじまり

さて、お立会い!
おじさんは、昭和24年(1949年)生まれです。堺屋太一さんが名づけた『団塊の世代』の最後の年に、この世に生を受けました。それから半世紀あまり、猛スピードで天空を駆けるイカロスの翼に乗せられたように、目の回るような慌しい時間を過ごしてきました。余談ながら、小学校から中学時代にかけて、「電話が通じた日」や「テレビが家にやってきた日」があって、今の若者には信じられないような大騒ぎでしたっけ。もちろん、家に電話が通じても、わたしにはそれをかける先がありませんでした。いまの若い人には想像もできないでしょう。

あの頃、見上げた空にはアメリカ軍の双胴の戦闘機(P-38)がキラキラと高く飛んでいました。そして、まさか鉄腕アトムの世界で夢見た高速鉄道(新幹線)や超高層ビルが現実のものになるなんて。もっとすごいのは、科学特捜隊員(ウルトラマン)たちのかっこいい個人通信機をほとんどの国民がひとつずつ持つ時代が来るとは。

それから、幾星霜―。
多感な青春時代のいくつかの恋と夢は無残にも破れて、ちょっぴり挫折感を抱きながら、それでもちゃーんと会社に就職できたのは、時代の幸運でありました。世は、オイルショックから雄々しく、素早く立ち直った日本企業のあたかも”初夏の日差し”が眩しい時期でした。なんと、新入社員でも、6月にはベアの差額(4、5月分として)を数万円も手にするという信じがたい時代だったのです。

しばらくしたら、昭和55年(1980年)には、政府の年次経済報告に、『先進国日本の試練と課題』と謳われました。この国は、キャッチアップ・モデルに追いついて、世界の先頭に並んだ気になってしまったのです。これは、「増長」以外の何ものでもありませんでした。あのときそのことに気がついていれば、不幸なバブル崩壊はなかったかも知れません。

愛しの電卓たちへの挽歌

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ちょうどおじさんが社会に出たころから、最新のビジネス兵器である電卓が、「そろばん」を席捲していきました。これがビジネス社会のOA化の端緒ではなかったのではなかったかと思います。「そろばん」がまったくできない若者でも、統計や経理的作業が素早く、正確にできるというのは天の恵みでした。事務作業の効率は、飛躍的に向上したことでしょう。そのことの引き換えに、個人の暗算能力は極端に低下したようですけれど。

その電卓たるや、瞬く間に8桁から12桁に、弁当箱から手帳サイズに進化したのですから驚きです。シャープ、キャノン、カシオの激しいシェア争いが評判になったものです。当時の開発秘話をどこかで読んだ記憶があります。なお、あのころ、電卓は、何かの折の記念品として重宝され、わたしも何台かいただきました。

 

一方で、消費者は、メーカーのすさまじい商品陳腐化戦略に翻弄されてきたともいえます。この電子機器に関するマーケティング手法は、以後のワープロ、パソコン、携帯電話など、現在まで続く、IT産業の宿痾(しゅくあ)といってよいでしょう。もちろん、「ムーアの法則」的な飛躍的な技術革新を無視して揶揄しているわけではありません。集積回路の進化、液晶表示・太陽電池の開発は目覚ましいものでした。そして、電卓には辞書機能がついて、それが電子手帳に姿を変え、ついにはPDAに成長する流れは、電子機器がひとつの情報プラットホームにフュージョン(融合)していくプロセスのプロトタイプとも言えるのではないでしょうか。

それにしても、その頃のビジネスマンが、少なくとも一人一台は所有していた電卓は、今では携帯電話の一機能に組み込まれ、単体で動いているのは、ずいぶん減ってしまったようです。おじさんは、今でもときどき抽斗(ひきだし)の奥から引っ張りだして、出張旅費の精算に使いますが、そういうときは12桁なんてまったく必要ないんですよね。

あの愛しい電卓たちはどこへ行ってしまったのでしょうか。多くのお宅の納戸や物置の片隅に今でもひっそりと一台くらいは眠っているはずです。じゃ、それ以外は? 20世紀の野放図な産業廃棄物の一部として、どこか深い山奥か見知らぬ島嶼(とうしょ)で怨念の埋火を燃やしているのでしょうか。そうだとしたらごめんなさい。わたしたちは、こんなところでも不用意に宇宙船地球号を汚してしまって。

ファックスとゼロックスの登場

OA化のはしりのもうひとつは、ファックスの出現でした。そもそも、ファックスは1920年代には、すでに「写真電送」として新聞社などで使用されてきた情報機器です。しかし、一般企業に導入されたのは1970年代のおわりのころでしょう。

ビジネスマンになったおじさんが、最初に感激したのは、このファックスでした。もちろん、すべての企業に一斉に導入されたわけではありません。おじさんの勤めた会社は、最初に導入された同業者に遅れること一年余り。その間は、その同業者の本社と東京支社に、それぞれの担当が「ファックスをいただきに」あがる日々でした。当時の東京=大阪間のファックスは、まだまだ技術的に未完成だったのか、それとも電力周波数の関係もあってか、ともかく、いたるところ真っ黒で、文字も歪んで読みにくいかぎりの不完全なしろモノでした。

それでも、電話による情報伝達の不徹底や曖昧さを克服する技術は、文系出身者にはミラクルでした。おじさんの所属する会社に導入されるころには、ずいぶん技術的にも改良されていましたが、現在の電話と一体になった家庭用とは比べものにならないくらいの大きさだった記憶があります。そして、最近はインターネットの普及により、ファックスはその役割を終えはじめる運命にあるのかも知れません。そもそも、インターネットは、コピーの送達ではなく、どこにいても本物を取り出せるようになったのですから、これはすごいことです。このことは、いずれ詳しくお話しましょう。

そうそう、ここでついでにコピーの話をしておきましょう。コピー機は、ながらく複写機と呼ばれていました。おじさんの経験でも、当初は、原稿と印画紙を重ねて、強い光を照射して焼き付ける”青焼き”と呼ばれる湿式のものでした。ちょっと分厚い原稿だと光を通しませんのでまったく複写できませんでした。その後、複写技術は大きく発想が変換され、写真技術を応用した、ゼロックス(Xerox)という英語の商標で呼ばれるコピー機が発売されました。これも、おおむね1970年代のことです。

手軽に素早く書類のコピーが取れるというのは、まるでグーテンベルグの活版印刷技術の発明に似た大きな情報革命であったように思います。すなわち、情報の迅速かつ正確な伝達という目的が、当時としてはほとんど完璧に達成されたのです。それまで、口頭、黒板書き、写りの悪い青焼き、ないしは、ガリ版刷りの配布によって行われてきた情報伝達が、手軽なゼロックス・コピーの配布によって合理的に推進されるようになりました。一方で、その負の側面として、コピー用紙の大量使用や情報の外部流出が問題になりました。これも、プリンターとインターネットにツールは変われど、現在の状況と似ています。

さらに、技術はどんどん進んで、ファックスとコピー機が合体、今ではすべての技術がデジタル化されることで、パソコンプリンターとも共用できる多機能機が主流になっています。これも、電卓と同じような情報機器の融合のプロセスということになりますね。

まとめ~デジタル時代前夜

そもそも、情報化時代という言葉は、固有名詞としてではなく一般的に使えば、15世紀のグーテンベルグ時代も、19世紀の電信・ラジオ・電話時代も、20世紀のテレビ時代も、情報伝達手段がいっそう豊かになったという意味では、情報化の目覚しく進展した「情報化」時代だといえます。ただし、「情報化時代」とは、ポスト工業化社会という趣旨で使われていますから、今後は、そのような時代性を持った言葉として使用します。

『デジタル海峡漂流記』は、こんなデジタル時代前夜から始めることにしました。20世紀の後半、怒涛のような情報機器の技術革命に晒されたとはいえ、それらはビジネス社会における連続した時間の流れを分断したものではないはずです。その底流に流れるものは何だったのか。技術の成熟化、企業競争の激化などによる自然のなりゆきなのか。それとも『見えざる神の手』によるお導きなのか。時代を振り返ることで新しく見えてくるものがあるのではないかと期待しています。

来月は、ポケベルと携帯電話の登場によるコミュニケーションの向上、そして、ワープロに続いて、いよいよパソコンが登場します。その頃から、企業の組織も、いわゆる「情報化時代」に合わせて変化しはじめます。「デジタル海峡」を渡るための暗中模索のはじまりです。そういえば、みなさんの会社に事務機械室ができたのはいつごろのことでしたか?

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筆者紹介

松井一洋(まつい かずひろ)

広島経済大学経済学部教授(メディア産業論,eマーケティング論,災害情報論) 1949年生れ。大阪府出身。早稲田大学第一法学部卒業。阪急電鉄(現阪急HD)に入社。運転保安課長や教育課長を経て,阪神淡路大震災時は広報室マネージャーとして被災から全線開通まで,163日間一日も休まず被災と復興の情報をマスコミと利用者に発信し続けた。その後,広報室長兼東京広報室長、コミュニケーション事業部長、グループ会社二社の社長等を歴任。2004年4月から現職。NPO日本災害情報ネットワーク理事長。著書に『災害情報とマスコミそして市民』ほか。

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