ITと経営

第4回 日本企業は横並び主義の「様子見」戦略

概要

今後の企業を取り巻く環境変化のなかで、労働力不足が大きな問題になっている。昨今の大卒を巡る就職争奪戦は、かつての高度経済成長時代を彷彿とさせるものがある。その状況は、これからますます激化して行くが、日本経済や企業経営にとってこれを切り抜ける方法は、ただ一つ、IT投資(IT資本)を軸とした生産性向上によるしかない。これさえ実現できれば、「人口減社会」は乗り切れる。その具体的処方箋をここに展開する。

前回の連載では、なぜ、アメリカ企業が情報化戦略に強いのか。それを文化や歴史にまでさかのぼって分析した。同じ手法で日本企業の情報化戦略を分析するのが、今回の目的である。こういうテーマを出すと必ず出てくる反論は、「日・米では文化も歴史も違うのだから、経営手法に差があっても当然」というものである。一見、もっともらしく聞こえるが、果たしてそうだろうか。要するに、この意見は「日本型経営」と「アメリカ型経営」を別々に独立したモデルとして承認するものだが、これは、1980年代前後の日本経済の絶頂期に言われた言葉である。この認識の誤りは、このすぐ後に起こる「バブル経済」の発生と、その後の15年近い長期経済停滞によって証明されてしまった。つまり、資本主義経済モデルは一つであり、その最終着地点は本稿で繰り返し強調するように、長期的な視点に立つところの「合理的経済計算」にある。
 
資本主義経済モデルを「アメリカ型」におくものとすれば、これに比べて「日本型」はいかなる地点に立っているのかを、冷静に見比べておく必要があろう。次の表は、私がこれからの論述に便利なように作成したものである
 
日本の企業社会とアメリカの企業社会比較
【出典】勝又壽良作成
 
上の表は日・米の企業社会を端的に比較したが、両国の最大の特色は日本が同質社会であるのに対して、アメリカは異質社会であることだ。異質社会であることはアメリカだけの特色でなく、欧米先進国にも共通である。
 
日本は単一民族(この言葉には批判もあるが、あえて単一としておく)と同一言語であり、かつ、結果の平等主義である。いわば封建時代の「村落共同体」的な色彩を今なお現在に引きずっている。最近の「所得格差」問題も結果の平等主義に立っており、今回の参議院選挙で争点の一つにされた背景にはこれがあった。日本が同質社会であることは否定しがたく、個人の独立性は、欧米に比べれば見劣りしている。従って、同質社会ゆえに議論を好まない習性が残っているので、組織内で議論好きな人間は、理屈っぽいとされて「浮いた存在」に追いやれることも、まま起こるのである。
 
「空気」の社会でもある。「何となく結論が誘導されていく」ことが、あたかも空気のように誰もその存在に気づかないうちに、結論が出てくるのである。「以心伝心」という形で決着が図られるのだが、これだと組織内は当面、丸く収まって互いに気まずい思いをすることなく大団円で終わる。
 
問題は、こういった日本型企業社会がIT化時代になって、決定的に不利な状況になってきたことである。つまり、工業化時代であればこの「以心伝心」でことはすんだが、IT化時代になると、知識や情報が全社的に共有されなければ、その効果が出ない「形式知」に転換しなければならない段階になる。それにもかかわらず、「暗黙知」という形で限られた職場ないし組織内でしか、その知識や情報が通用しないのである。はなはだ知識や情報の非効率な使われ方である。これは「部門」間の壁が厚いことを示しており、全社的に見れば「風通し」がわるい「職場一家」的なムードに固執しているといえる。日本のIT化投資が「部門最適」であると指摘され、全社的な「全体最適」でないのは、これを反映したものだ。
たとえは悪いが、戦前の日本陸軍と日本海軍のように、情報は共有せずばらばらな戦術で敵と向かい合えば、敗戦は時間の問題であった。この教訓は企業社会に生かされていない。
 
工業化時代の日本企業は、プロセス・イノベーション、つまり、生産工程の刷新による品質管理によって歩留まり率の向上を図り、コストダウンを実現してきた。これが世界的に「メイド・イン・ジャパン」の評価を高めた。一方のアメリカはプロダクト・イノベーション(画期的な新製品開発など新分野への挑戦)によって、見事に世界王座に返り咲いた。これについては前回の連載で詳述したとおりである。
 
プロセス・イノベーションは確かに日本の企業文化にぴったりであることが分かる。職場で格別に議論しないでも、以心伝心によって職場の全員が理解しあえるという「暗黙知」に支えられてきたからである。しかし、すでに時代は工業化から、高度情報化に転換している。企業文化もプロセス・イノベーションからプロダクト・イノベーションにふさわしいものに切り替えて行く段階に達している。
 
以上を総合すると、「組織IQ」という言葉で結論が出せそうである。「IQ」というと、学校受験を思い出すかもしれないが、数字に表したものではない。「組織IQ」とは、企業内の無形資産である「インタンジブルズ」の管理能力を相対的に示す言葉である。その管理能力が日本企業は総じてアメリカ企業に比べて、弱いのである。もちろん、日本の「グローバル型企業」はアメリカ企業に十分対抗できるが、そうではない「国内型企業」、特に中小企業ではかなりの落差が認められている。政府もこれを改善させるべく、2008年度予算に中小企業に関する人材育成とIT投資促進の税制優遇を検討しているところだ。
 
無形資産である「インタンジブルズ」について、第1回連載で取り上げたが、もう一度復習しておくことにする。インタンジブルズは、次の三つに分類されている。①人的資本、②情報資本、③組織資本、である。①人的資本とは、企業の戦略的プロセスを実行するために必要となる人材(その人材が持つ技術と知識)。②情報資本とは、経営戦略を実行するためのデータベースや情報システムなどのITインフラやソフトである。③組織資本とは、企業の組織文化やリーダーシップ・チームワークなどである。
以下では、これらの三つのインテンジブルズについて、現実とのギャップを見ていくことにする。
 
人的資本は人材養成であり、そのスキルやナレッジをいかに社内に蓄積するかが課題になる。だが、日本の実際の企業行動を見ると、短期的な人件費の切り下げが最大眼目となっている。その結果、非正規雇用に頼る企業が相変わらず多いことが問題になっている。非正規雇用者は当然、雇用期限が来れば雇用先を去って行くから、スキルもナレッジも何ら社内に蓄積されることがない。また一からのやり直しで、それの繰り返しである。
本連載の前回に、アメリカ企業が世界一の労働生産性をあげている理由の一つとして、IT技術を運用するには、それに適応した労働者の教育訓練が必要であり、それを実行していることを指摘した。この点で、日米の差は歴然としている。
 
情報資本はITインフラやソフトである。数年間は、これらの初期投資負担が大きいものの、それを過ぎると生産性が格段に上昇する。これはアメリカ企業が2000年代に入って、IT「第二の波」といわれる好収益の状況を作り出していることでも立証されている。情報資本は、根気よく続けてこそ果実も大きくなり、「収穫逓増」を実現できる。これも前回の本欄で、アメリカ企業を例にして指摘したことだ。
今や企業は、メインフレーム時代の遺物であった短期的な「コスト切り下げ」手法としての情報化投資的な思考を、一切、捨てなければならない。大きな果実を手にするには、数年の辛抱が必要なのである。
 
組織資本は企業の組織文化やリーダーシップやチームワークに関わる。先に掲げた日・米の企業社会比較は、まさにこれに焦点を合わせたものである。企業の組織文化が日・米では大きく異なっている。そのことを認識しないで、日本流をやみくもに押し通していても効果が上がるものではあるまい。組織資本で日本が変えるべきモデルは、好き嫌いは別としてアメリカである。その手始めは、「暗黙知」を「形式知」に変えることであり、具体的に言えば部門間の壁を取り払うことである。これを可能にさせるのは経営トップの認識いかんにかかっている。今年度の『財政経済白書』によれば、専任のCIOを置いている企業は全体のわずか4%である。2005年末が2%であったから、少しは改善されたとはいえ「蝸牛」の歩みである。
 
こんな状況で、日本企業の組織文化を改革できるという期待は持ちにくい。ただ、もう一つ日本企業の組織文化において隠れた特色は、「火事場の底力」とも称すべき不思議なものを秘めていることである。来年度から日本型SOX法が実施されるために有無を言わさず、「内部統制システム」の確立を強制されることである。これに淡い期待を寄せざるを得ないのが現実である。
次回は、「ここ二三年で、経営格差は一挙に開く」を掲載予定である。

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筆者紹介

勝又壽良(かつまた ひさよし)

1961年 横浜市立大学商学部卒。同年、東洋経済新報社編集局入社。『週刊東洋経済』編集長、取締役編集局長をへて、1991年 東洋経済新報社主幹にて同社を退社。同年、東海大学教養学部教授、教養学部長をへて現在にいたる。

著書(単独執筆のみ)
『日本経済バブルの逆襲』(1992)、『「含み益立国」日本の終焉』(1993)、『日本企業の破壊的創造』(1994)、『戦後50年の日本経済』(1995)、『大企業体制の興亡』(1996)、『メインバンク制の歴史的生成過程と戦後日本の企業成長』(2003)

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