BCPを考える

第4回 『まさか!こんなことが起きるとは…』~ケースで考えるBCP(2)

概要

注目を集めるBCP(Business Continuity Plan:事業継続計画)について、阪神淡路大震災を企業の第一線の現場で経験もとに連載シリーズとして掲載いたします。

目次
第六ステージ: 当日 第三回対策本部会議 月曜日 18:00
第七ステージ: 二日目の朝 火曜日 6:00
第八ステージ: 二日目の朝 火曜日 8:00
第九ステージ: 二日目の夕方 火曜日 18:00

第六ステージ: 当日 第三回対策本部会議 月曜日 18:00

すでに外が真っ暗になった工場の食堂で,懐中電灯の灯り のもと,三回目の対策本部会議を開催した(1)
発災からすでに約12時間が経過し,当初の異常な興奮状態 から醒めた社員には,たとえようもなく大きな疲労感が襲いつつ あった(2)

つまり,ここにきてあらためて被害の大きさが確認されただけで前回の会議で決めた緊急対応プランは,まったく実行できていなかった(4)

当面の問題は,現在,本社および本社工場(寮も含む)にいる約100人の社員の夕食と飲料水,トイレの確保であった。
また,本社や工場などで帰宅できない社員の宿泊場所のあてもなかった(5)

電気,ガス,水道などのライフラインか通じていないため,結局,十人ほどが最寄りの避難場所に出向き,炊き出しや救援物資の毛布などを代表して必要分受領することにした(6)

山田課長は,遠くにサイレンの音が絶えない真っ暗な闇を見つめながら,こみ上げてくるような恐怖感と前途への無力感になすすべもなかった。刻々と各地の被害状況を伝える取締役工場長の携帯ラジオを聞きつつ,寒さをしのぐため一枚の毛布にくるまった。

 

第七ステージ: 二日目の朝 火曜日 6:00

時折襲ってくる大きな余震(1)に眠れない夜を過ごした翌朝,飛び込んできた悲報によって覚醒した。昨日の朝,本社副工場長が病院に搬送した社員が早朝に息を引き取ったという訃報だった(2)

それにしても,今日,山田に課せられた任務は数え切れない。
総務部長と担当課長が出勤できていない間は,総務部の所管の業務は,すべて山田が取り仕切ることになる。
そこで,なすべきことを優先順位で手帳にメモしてみた(3)

対策本部長を務める取締役工場長と打ち合わせの上,出勤している総務部員5名とともにそれらの作業に着手した(4)

【作業方針】

については,本社事務所が傾いて危険なため,緊急に対処しなければならないことに鑑み,現在出勤している各部署の社員が,ただちに必要書類の搬出を行う(5)。なお,それらの一時的な保管場所として,外から鍵がかけられる配送用の大型トレーラー(バン)を本社玄関先に移動し使用する(6)

情報システムの確認については,出勤しているシステム室長の指揮の下で実施するが,サーバー室が崩壊している上,いまだ電気や電話も通じていないため,重要データのストレージを確認するにとどまる(7)。なお,会社個人端末の不用意な起動やインターネットへの接続(PHS等による)は禁止する(8)

社員救援本部が担当する。なお,当座に必要な現金については,経理部が手元資金として金庫に用意してあるものを取締役人事部長が代表して借り出す(9)

ガス,水道,電気のこない間は,食事等は原則として最寄りの公的避難所に依存するが,自炊等自力の解決方法を研究する。

電話が通じるまで,重要箇所との連絡は,工場の若手社員数人による自転車部隊を編成して対応する。

システム室長を中心に本社移転予定先の受け入れ準備を本日午後から開始する(10)

活動記録は,担当を決めて確実に実施する(11)

 

第八ステージ: 二日目の朝 火曜日 8:00

山田が社員用トイレの問題(1)について,総務部員と方策を検討していたとき,本社の玄関先で歓声があがった。
急いで外に出てみると,そこには,生産部で上司だった信州工場副工場長をはじめ,懐かしい顔が5名も揃っていた。
思いもしなかった応援部隊第一陣の到着であった(2)

昨日の午後,出発して,夜を徹して駆けつけてくれたのである。そのうえ,嬉しいことに食料品や飲料のほか,衛星電話も持参していた(3)

また,その衛星電話を使った連絡によると,姫路工場からの応援部隊もあと二時間ほどで到着するということであった。まさに地獄に仏である。
山田は,自然と力が漲ってくるのがわかった。

 

第九ステージ: 二日目の夕方 火曜日 18:00

16時過ぎに電気が復旧し,電話が通じた。
工場の食堂で開催された応援部隊を含めた対策本部会議も体裁を整えはじめた。

それにしても,いわゆるライフラインの重要性を再確認した二日間であった(1)

懸案のさまざまな情報交換のあと,ひとつの重要な決定が取締役工場長から発表された。技術畑である信州工場と姫路工場からの応援の二名の副工場長と本社工場の被害状況を検討した上での方針変更である(2)

今回の大震災では,現在の時点で3人の社員が亡くなり,十数人が負傷している。また,社員家族の被害はそれに数倍するという報告を聞いたばかりである。

山田は,被災地の真っ只中にあって,付近のすべての工場が操業停止しているため,哀しくも澄み渡った夜空に浮かぶ満月を見上げた。

そして,M製作所という『命』もまた,大きなキズから立ち直るため,すでに前を向いて歩み始めたことに感動していた。

次回は,情報セキュリティに関して,情報化社会論に触れながらお話したいと思います。なお,『ケースで考えるBCP』についてご意見やご質問があれば,どうぞお寄せください。

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筆者紹介

松井一洋(まつい かずひろ)

広島経済大学経済学部教授(メディア産業論,eマーケティング論,災害情報論) 1949年生れ。大阪府出身。早稲田大学第一法学部卒業。阪急電鉄(現阪急HD)に入社。運転保安課長や教育課長を経て,阪神淡路大震災時は広報室マネージャーとして被災から全線開通まで,163日間一日も休まず被災と復興の情報をマスコミと利用者に発信し続けた。その後,広報室長兼東京広報室長、コミュニケーション事業部長、グループ会社二社の社長等を歴任。2004年4月から現職。NPO日本災害情報ネットワーク理事長。著書に『災害情報とマスコミそして市民』ほか。

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