概要
情報システム担当者は、最初から幅広くIT知識を有している方はごく一部になると思います。業務を遂行する過程で必然的に知識が必要になったり、経験から得た知識というものがあったりすると思います。一つの会社だけではなく、色々な会社を経験した体験談や考え方などをご紹介させていただきます。また、情報システムの面白いところや困りごとといった個人的な感想など情報システムメンバー目線で語ります。
- 目次
- 混沌のIT業界:2000年、キャリアの原点
- 突然のひとり情シス:プレッシャーとVBの習得
- 脳内デバッグと、草の根IT支援の日々
- 「出張先でコーディング」という想定外の経験
- 「言葉は蒸発する」:25年守り続ける教訓
- 検索とナレッジ:最強のツールとしてのメール
混沌のIT業界:2000年、キャリアの原点
今回の執筆メンバーの中では一番情シス歴が浅く、2019年8月に入社した今の会社で配属されたのが初めてになります。大学を卒業した2000年、最初に就職したのは社員数十人規模の小さなソフトウェア開発の会社でした。今にして思えば、当時のIT業界はかなり混沌としていました。ちょうど就職氷河期ど真ん中(2000年が最悪の年だったらしいですが)でしたが、IT業界は2000年問題対応バブルの余波で多少の余力があり、結果、受け皿となり有象無象が雪崩れ込んで来たのが当時のIT業界、それも中小企業だったように思います。コンプラやポリコレどころか、ブラック企業、個人情報保護と言った概念もありませんでした。煙草も自席で吸えましたし。26年前とは言え隔世の感があります。
突然のひとり情シス:プレッシャーとVBの習得
最初に携わったプロジェクトはシステムの保守でしたが、先輩一人のチームで、自分が配属された3ヶ月後にその先輩辞めて一人になりました。保守とはいえ大企業で本番運用されているシステムだったので、何度振り返っても、中々無茶な事するなあと思います。今でこそ半分笑い話ですが、当時感じたプレッシャーは凄まじく、この先輩の送別会の時に初めてビールを美味しいと思ったのを覚えています。
不具合改修や機能修正などの細かい案件に対応しながら必死にコードを覚えました。メインはVBとVBAだったので比較的覚えやすかったですが、一部でCOBOL、あとメインフレームとも連携していたのでJCLも使っていたりして、そこそこ大変でした。あと16bit版と32bit版があったのも厄介でした。今にして思うと何だそれと思いますが、当時はWindowsNT3.x系とWindowsNT4.x系でプログラム分けていたのですね。特にWindowsNT3.xは「自宅で使っているWindows98と違う!」と衝撃を受けました。あの独特のプログラムマネージャーは今も記憶に残っています。
脳内デバッグと、草の根IT支援の日々
コードを覚える、というのはプログラムを学ぶという意味でもありますが、何度も読んでいるうちにソースコードも自然に覚えてきます。そうなると脳内でデバッグ出来るようになってくるのですが、当時の経験上、頭を洗っている時に原因を見つける事が多かったです。他のプログラマやっていた友人もよくあると言っていたので、業界のあるあるネタかもしれません。
他に細かい案件も色々と担当しましたが、今にして思うと不思議な会社で、どうやってこの仕事取ってきたんだろうと思う仕事が色々ありました。中小企業どころか個人商店のシステムで調査に行った時は、お客様環境がオフィスというより店長の自宅で、普通に家族がウロウロしている中でデバッグしていたのも良い思い出です。他にも小さい会社様等では「新しいパソコン買いたいから相談に乗って」とか「フロアのレイアウト変更したいから手伝いに来て」と言ったIT関係の雑用のような仕事もあったので、後の情シス業務に繋がっていると言えない事もありません。
「出張先でコーディング」という想定外の経験
そういえば自社の情シス的な事も多少はしていました。タイムカードの代わりに出勤・退勤の記録を残すプログラムを社内用に作ったのですが、毎日違う豆知識がトップページに出るようにしたのに、特にその事に対してコメントが無かったのは切なかったです。今調べたら「トリビアの泉」の放送開始が2002年10月らしいので、少し早かったのかもしれません。
出張で九州や仙台に行く事もありました。これも大企業の営業所等ではなく地元の小さな会社だったので、「ウチも小さいのにどうやって見つけてきたんですか!?」と同行した上司に聞いてみたら「たまたま飲み屋で隣に座ったから・・・」と想定外の回答でした。「で、今回の出張の目的であるリリース物はどこですか」と聞いてみたら「無い。今から作って。」と更に想定外の回答でした。せっかく出張で一泊するのに深夜までコーディングしていたのは楽しかったです。
「言葉は蒸発する」:25年守り続ける教訓
そんな最初の会社には3年程いましたが、振り返ってみると幅広く色々体験させて頂けたので、
かなり濃い3年間でした。一番使っていたVBはこの時頑張って覚えたので、その後、この会社を辞めても長く使い続ける事になります。COBOLとJCLは使わなかったので忘れましたが。むしろ言語や技術等より、最初の会社では仕事に対する価値観や考え方などに大きな影響を受けた気がします。
当時の先輩で「言葉は蒸発する」が口癖の人がいました。元ネタがあるのかは知りません。口で言った事は消えてなくなるから、メモを取るなりメールするなり何らかの形で残しておけという意味ですが、これは25年経った今でも肝に銘じています。本当に蒸発するからです。アナログなメモだと後で検索できないですし、Excel等のバイナリファイルだと検索しにくいので、なるたけメールに残すようにしていました。さっき話した内容も「備忘として~」とか「忘れないように~」などと付けてメールしておきます。口頭で済んだから良いや、とサボると後で泣きます。ポイントは未来の自分に向けて書く事です。どうせ忘れているので。未来の自分が分かりやすいように意識しておくと、後々助かります。検索に引っ掛かりやすくするよう、あえて表記ゆれしておくのも良いかもしれません。
検索とナレッジ:最強のツールとしてのメール
そんな時に出会ったGmailは衝撃でした。検索が早いし便利、2008年に当時に入った現場で使っていたのですが、(メモ先として)便利過ぎて感動しました。別の現場でGmail使ってないとガッカリしたものです(個人の感想です)。前にいた元の現場に戻る事もありましたが、アカウントが変わってしまい、前のメールを検索できなかったのは愕然としました。
新人や後輩等に「報連相」を教えるのは基本のキですが、これも要は何でもメールしてくれれば事足りたりします。情報共有は全ての仕事の基本です。これはどちらかというと最初の会社というより「ナニワ金融道」で学びましたが。ちなみにGmailはグループ宛にメールしておくと、後からアサインされた人も過去のメールを辿れたりします。なのでGmailを使う時はなるたけグループ宛にしておくと、後から入った人が助かるかもしれません。が、この考え方はあまり普及していないのか、自分が入った時にグループの過去メール検索して助かった事は滅多にありません。
何にせよ、メールは最強のナレッジになり得ます。Slack等のツールも便利ですが、過去ログが消えたり検索しにくかったりします。いつまで使えるかも分からないので、長い目で見るとメールが間違いないと思っています。ツールが無い現場は多いと思いますが、メールが無い現場はほぼ無いでしょう。気軽に使えるのも大きいです。ツールと言えば、昔は「IP Messenger」とか使っていたな、と思って調べてみたらまだ窓の杜で配布しており驚愕しました。
自分は90年代に使っていたOutlook Express のdbxファイルも未だに残しているので、何かの役に立つ日が来るかもしれません。現状だと開けませんが。
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筆者紹介
1977年生まれ。
文系の大学からシステム開発の会社に入社。
その後もITベンダーやSierを転々としながら最終的に今の会社で情報システム部に落ち着く。
開発、運用、情シスと職種は色々変わりながらも、常にIT業界に身を置いていたので、業界でよくある話など提供し「他も似たような事やっていたんだな」と思って頂ければ幸いです。
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