システム管理における人材育成

システム管理における人材育成 コンピテンシー・組織状況とリーダーシップ(6)

概要

システム管理における人材育成を、チームリーダーの役割、リーダーシップの視点、組織とコンピテンシーの関係から12回に渡って連載レポート。

今回は本コラム1年間のまとめとして、今まで紹介したリーダーシップについての概観とその教育について私の経験を述べてみたいと思います。
 
リーダーシップが公式に任命されたリーダーだけのものから、チームメンバーの果たす役割として考えられるようになって、半世紀以上が経ちました。リーダーシップの民主化とも言えることです。初めリーダーの特性や、地位に特有なものとして研究されていましたが、リーダーシップが機能・働きとしてとらえるべきものであること、生まれながらの資質というより、後天的に学び習得できるスキルであること、また常にこうやればうまくいくといった、画一的、教条的な正解があるわけではなく、メンバーの習熟や、チームの状況、タスクの性格などにより効果的なやり方は異なるものであるという考え方、状況においてどのような行動や考え方をするのが効果的かについてのコンピテンシーなど、リーダーシップ論は大きく発展して来ました。現時点でその終点は見えませんし、今後も大いに発展していくと思います。
 
このようなリーダーシップ論の展開は、リーダーシップ教育に大きな影響をもたらしました。
機能・働きとして、初歩のリーダーシップ教育では、その果たすべき役割をしっかり押えることから始める必要があります。役割発揮のための行動が効果を出すように、状況を踏まえた効果的なやり方を行うのが状況的リーダーシップです。そこで状況の捉え方と対応の原則を習得し、さらに感受性、判断力、問題解決力、状況対応力といったコンピテンシーを養成するため、さまざまな実習やケース討議を体験することになります。リーダーシップの根底にある「人間観」の変化もリーダーシップ教育を大きく変えました。人間は、不完全な存在で欠点を補うことにより成長するという考え方(ネガティブ・アプローチ)もあります。逆に、本来素晴らしい存在で何かの障害や規制力が本来の力を妨げている。だからこの障害・規制力取り除けば成長するという考え方(ポジティブ・アプローチ)もあります。前者の考え方をすると、研修の場では、自分の欠点を充分に認識することに重点がおかれます。30年前の教育はまさにこのような場であったように思われます。人によっては深く感じとめ、劇的に成長が認められることもありますが、心理的な抵抗をもって研修を終わる人がいることも確かです。後者の考え方はその後定着してきたように思われます。先ず今の自分の強み、長所を診断や相互指摘により確認します。そしてその強みの発揮を妨げている自分の中にある規制力を模索していきます。規制力を排除するための行動計画を作成してまとめて行きます。これは受入やすいく、教育効果も高い研修です。広く教育のアプローチとしては、どちらも正解です。しかしリーダーシップの向上ということでは、規制力を排除するポジティブ・アプローチがフィットしていると思います。
 
その例として私自身の経験を紹介してみたいと思います。社会人になって30年間、さまざまな職場経験と研修を受けるなかで、リーダーシップの向上を図ってきました。5年ぐらいまでは、リーダーシップについて意識もありませんでした。10年目ごろから、上司や周囲からしきりにリーダーシップを発揮するように言われました。研修も受けました。当時の私は、少人数ならいいのですが、大勢を相手に話すことには苦手意識を持っていました。発言はほとんど出来ませんでした。話題についていけないのです。意見やアイデアを思いつくのは、話題が変わってからで、そのときはもう話せません。他のメンバーがその場で素晴らしい発言をするのを聴いては、うらやましいと感じていました。関心は、自分がどうメンバーに受け止められているかに集中し、認めてもらっていないことを常に意識していました。研修だけではありません、職場でのミーティングもこのような状況が繰り返されていました。
数年の間に数回の研修(リーダーシップ以外の研修も含めて)を受けました。ある課題討議をしていたとき、「このチームは、この話題の後、何が話題になるのか?」という疑問が沸き、多分これかなと想像し、その話題ならこの論理を展開すれば面白そうだと思いめぐらしていました。そのとき、メンバーの一人によって正にそのことが話題にされたのです。慎重に2,3人の話しを聴いて話題がずれていないことを確認して、私は、「その点では、・・・」と切り出したのですが、みんなは不思議と聴いてくれたのです。その後の振り返りで、少し気の楽になった私は「○○さんは、その場その場で良くいろいろなことを思いつくものだなと感心していますが、どうしたらそういう能力が付くのでしょか」と聴いてみたら、「準備しています。この場で思いついたものなどほとんどありません」というものでした。これは能力の問題ではなく、準備するという当たり前のことを、それまで私がさぼっていただけであったと気づいたのです。これが最初のリーダーシップについての気づきでした。
 
その後、ある研修会でメンバーから「岩澤さんはリーダーシップを発揮していますね」と初めて言われたとき、「今、自分はリーダーシップが取れていないと思い煩ってはいなかった」と気づきました。リーダーシップが取れていないと思い煩っている限り、テーマについては考えていないわけで、そのような低貢献の状態で、リーダーシップがとれるわけもないのです。「リーダーシップが取れていないと思い煩う暇があったら、テーマについて真剣に考え、チームに貢献することを考えよう」と自分なりに一般化し、手帳に書き込みました。また別の機会に、相手から認められないと焦っている間は、決して人からは認めて貰えていないと気づきました。自分が認められることはひとまず置いておいて、相手のリーダーシップや貢献を認めようとするとき、自分のリーダーシップがチームに貢献していることを自分で認めることができる。これが私の次の学びでした。
ミーティングや研修の場で、人に認めてもらいたいという焦りが、私の大きな規制力であったわけです。「自分の感受性は決して的はずれではない」という気づきも次第にもてるようになってきました。このようにして自分のリーダーシップについての気づきを少しずつ増やしてきました。
 
現在は会社における立場の変化により、また別の気づきが必要になってきますが、このような経験から、変な焦りを感じることなく習得できると思っています。 
 
以上の私の経験からして、リーダーシップを身につけるには、習得したいという欲求を持ち続けること、いろいろリーダーシップに関する知識、理論を習得すること、経験の中で実践し振り返り手直しを繰り返し、失敗も繰り返し反省し、悩み続けることが大切であると思います。そのようななかで、たまにうまくいくことがあります。これでいいのかなと感じることがあります。しかしまたうまくいかなかったりしますが、嫌がらずに、あきらめずにこころみていきます。気づくと、しゃべれなかった自分が結構話し、チームに影響を与えている、チームメンバーから自分の貢献を認められていることがあるのです。しかしこれで終わったと思わず、さらに継続していくわけです。そのような経験のなかで、自分を規制している思いや行動に気づいて、それから開放されて成長していくのです。
 
このコラムを書き始めようとした1年前、メインメッセージとして、「自分が自分であるとき最高のリーダーシップが発揮される」にしようと考えていました。しかし数人に話すと2通りの反応がありました。「その通り」と全面的に支持してくれる人たちと、「好きにやればよいというものではない」という人たちです。結局一年間、リーダーシップに関する情報提供をさせていただくなかで迷い続け、結論は出ていませんでした。しかし今回、自分の経験を振り返り文章化するなかで、やはりこのコラムのメインメッセージを「自分が自分であるとき最高のリーダーシップが発揮される。自分を自分でなくしている規制力に気づくことが大切である」として結びたいと思います。
 
永い間、ありがとうございました。

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筆者紹介

株式会社 ビジネスコンサルタント
総研部長 岩澤誠

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