現場から  オールドノーマルからニューノーマルへの転換 2020 年 - 2021 年

第4回 もう一つのテレワーク

概要

ニューノーマルに変容していくこの時代を一緒に考えていこう

目次
もう一つのテレワーク

もう一つのテレワーク

 

「愛される存在から愛する存在に変われ。愛に受け身はない」 /  立教新座中学・高等学校渡辺憲司校長 2011年 卒業式を中止した立教新座高校3年生諸君へ。

 

 

滞らない。

 

NTTのBフレッツ回線が2021年1月にサービス終了、あるお客様では回線増設、というテレワークの要でもあるネットワーク回線の変更追加以外は、新型コロナウイルス収束はいつだろう?と考えることができる夏の予定だった。

しかし、“こと”はそれでも、やってくる。いやいや、こちらから“こと”を仕掛けてみせる。

 

 

新型コロナウイルスの影響で解雇されたというカフェの従業員がゴールデンウィーク後に自分の力で立ち上げた名もないコーヒー屋さんがあった。
猛暑の8月、あるお店所有の隣のガレージにあるその名もないカフェは、コーヒーはもちろんだが、レモネードも美味しい。
子どもたちがお金を握りしめてそのレモネードを買いに来ている。
店主に聞くと、家のお風呂掃除を手伝った代金で子ども達はレモネードを買っているそうだ。

いつもコーヒーを飲んでいるが、子ども達があまりにも美味しそうに飲むので、そのレモネードを頼み飲んでみたら、一瞬、子供に返った。
そして、炭酸のあのシュワシュワとした泡が号砲だった。
そう、それを機に“こと”はレモネードのようにちょっと痛いくらい刺激的だった。

 

 

8月中旬、お客様先での作業予定を知ったマネジャーから連絡がきた。
客先作業が終わったら会社の会議室に来てほしいという指示だった。
会議室でクーラーを効かせて窓を開け、久しぶりに会うマネジャーと世間話を経て本題に入った。
聞けば、弊社の別のチームに追加で参加してほしいと。
人数も足りているあのチームになぜ? と思いながら、話を聞き、書かれていくホワイトボードを読み取っていった。
つまりは「テレワーク等以前にそもそもコミュケーション不足でそのチームが100%機能していない。よって、そのコミュケーションの渦を作ってほしい、そして、そのコミュケーションの中から実情を調べてほしい」と。
さらに聞けば、(前号で書いた)テックトークが会社の上の方で諮られ、そのチームのコミュケーションの渦を作ることに適任と判断したとのことだ。
しかし、戸惑った。
肩書はチームリーダーということだが、実際の技術的な仕事はしなくてもよいと。
さすがにマネジャーへ「それは、2日たったカレーに水を足しながら煮込んで棒でかき混ぜる役をしてくれ、という認識で良いです?」と質問をしてしまったが、返事は「その通り」。

 

時としてITエンジニアはコミュケーションを面倒と思うことがある。
なぜなら、目の前にある技術に集中して作業するのはお手の物だが、その作業に集中している最中は、たとえ遠くのサイレンがなっても気づかない。
そういった意味ではサーバールームは誰にも邪魔されない空間だ。
自席よりサーバールームでの作業のほうがコミュケーションを取らず、集中して作業ができる。
一方、どうだろう? サーバールームから出てみようか?と。
子ども達が美味しそうに飲むレモネードを見たからこそ、あのレモネードを飲んでみた。
別のチームの新しいコミュケーションの渦を作るという役割は、あの自前で作っていったテックトークについて会社が聞きつけたからこそ、エンジニアという肩書しかないこの自分へその役割を打診してきた。
それよりも何よりも、新型コロナウイルスが仕事はおろか生活スタイルや価値観さえも変化させてしまっていた。

 

随分、会社はばくち的なことをしてくるな、と苦笑いしながらマネジャーへこう答えた。
– その役割の趣旨、内容、背景も理解し、その作業を実施する
– 週1回、30分ほどTeamsを使ってその別のチームメンバーに対し1on1ミーティングを行う
– 同じく週1回、その別のチームの全体会議も行う
– 報告等、情報共有にも務める
そして9月、その別のチームの各種ミーティングのプラン、スケジュールが練られて行き、最初のTeamsを使って全体会議が開催された。
開催する前、柄にもなく鏡で髪を整える自分がそこにいた。
最初の全体会議だけはその別のチームメンバーの顔出しはしないであろう、であれば、こちらは顔を出し、親近感だけでも感じさせるという手段だ。
ほぼ知らないその別のチームメンバー数名、マネジャー、筆者という全体会議が”はじめて“Teams上で開始された。
マネジャーが筆者を紹介し、話すバトンが渡され、挨拶とともに開口一番、こう話しをした。
「これからのコミュニケーションを通して渦を作り、最終的に“お金を稼げる”チームにしたい、それがゴールです」と。
本来、コミュニケーションが円滑に進んでいるのであればその別のチームはストレス軽減どころかもっと稼げるはずだという意味合いを込めて。
しかし、顔出しをしていない人形のアイコンだけが並んでいるTeamsの画面だったとしても、誰もが頭の上に「?」が付いているのがわかった。
そして、話す内容の敷居を思いっきり下げ、次の週から1on1ミーティングが開始された。

 

 

 

その流れと時は同じく、個人的な試みを模索から実施の段階へと“こと”が進んだ。
既に定年を悠々自適に過ごす両親は現在、SDGs (Sustainable Development Goals(持続可能な開発目標))の中の「ゴール13 気候変動に具体的な対策」について地元で活動をしている。
それは簡単に言えばCO2削減を意味するが、ITとしては結構、耳が痛い内容だ。
なぜなら、電気があって初めてITエンジニアは仕事ができるが、その電気がCO2を作っていることはまず間違いない。
そこには後ろめたさを感じつつ、悶々とした日々があり「では、一方で俺には何ができる? それもこの新型コロナウイルスの中で」という自問自答を繰り返していた。
家のポストに地元自治体が発行した機関紙を読むと「学習支援ボランティア募集」という記事を目にした。
当初は何気なく読んだその募集記事だったが、仕事の休憩中でも、あのカフェでのんびりコーヒーを飲んでいるときでも、気づけはその学習支援ボランティアのことを考えている。
それはやがて「子ども達へ勉強を教えるということ、3年生位の算数だったら教えられるだろう、それに束の間でもITから離れることができたら気分もリフレッシュできるであろう」という、まったくもって自分勝手な理由が具体的に作り上げられ、その機関紙に乗っていた地元自治体の窓口へ、そのボランティア活動に興味がある旨のメールを書いた。
ちょうど、あのお店でレモネードを飲んだ夜、8月上旬のことだった。

 

そして8月中旬、その地元自治体から返信があり、「役所で一度、話しませんか?」という内容を受け取り、8月下旬指定された役所へ出向いた。
指定された役所の中では当たり前のように新型コロナウイルス対策が行われ、対面では透明なビニールが立ち下がり、アクリル板も用意されていた。
「暑い中、ありがとうございます」と担当者が爽快に挨拶してくれ説明がされた。
聞けば
– 行政が認定したNPO法人があり、そこで学習支援ボランティアをしてもらいたい
– 貧困の連鎖を断ち切ることが目標である
– 具体的には「子ども達への学習支援や進路指導」「子ども達への食事の提供」「親の帰宅時間に合わせた居場所の提供」の3本柱である
とのことだった。
そして、今度は自己紹介として自分はITエンジニアである、大学には行ったが教員免許はもっていない、そんな自分でも学習支援ボランティアは務まるのか?ただただ自分勝手に思い描いていた押し売り的理想と、実際にボランティア活動をされている方々の現実との間にあまりにも差異があることが一番怖い、ということを伝えたところ、「大丈夫です。もしよかったら一度教室を見学されてみてはどうでしょう?」という肯定的提案があった。

 

 

9月上旬、家から40分ほどの場所にある教室に見学へと出向くと、NPO法人の理事長直々に対応をしてくれた。
活動の内容、理念、つまりは低所得者家庭の子ども達への食事と勉強の支援について説明を受けた。
しかし、失礼ながらにもその説明をしている最中に「なぜ、俺はこの学習支援ボランティアをやろうとしたのだろう」という自分への疑問が聞けば聞くほど渦巻いていた。
理事長から視線をずらすと、子ども達が黙々と勉強をしている。
それをボランティアスタッフが先生として、つまずいた問題に回答を得るよう指導し、教えている。
だんだんと場違いかなと思って来ていた時、ハッとさせられる、もっと言えばその言葉でこの学習支援ボランティアをやろう、と決意することとなる言葉を理事長が発してくれた。
「この活動を自発的にやっているのは、結局ね、自分のためにやっているのです。子ども達が喜んでくれる姿を見るのが嬉しくてね。」

 

ボランティアに対する考え方、態度、方法、理念、そういったありとあらゆる要素は千差万別であろう。
時として偽善や売名行為と罵倒されることもあるであろう。
しかし、それがどうしたというのだ。
振り返ってみれば、自分の好きな音楽は、労働者階級が資本家階級への異議申し建ての内容が多かった。
貧困を理由に子ども達から勉強という平等に与えられる機会を奪うことに、異議申し建てをする。
貧困を理由に食事に困っている子どもに手を差し伸べるという機会を無くすことに、異議申し建てをする。
新型コロナウイルスでその子ども達への格差がより広がったであれば、その格差に異議申し建てをする。
運良く自分はここまで生活ができている。
であれば、今度は下の世代、それも困っている子どもに手を差し伸べる順番が来たのだろう。
十分、今まで自分はいろんな人に愛されてきたのであろう。
仕事であれプライベートであれ、嫌われもしたが愛されてもきた。
だったら今度は愛する側へ意識して立ってみようか。
それも具体的にはボランティア活動という形で、自分の知っている知識を使って。
あのお店のレモネードを飲んだ子どもたちは笑顔だったが、あの同じ笑顔がひとつでも多くこの活動を通して作れたらいいな、と。
たとえそれが「自分のため」という偽善と罵られたとしても、だ。

 

一瞬でそんなことを思い、理事長の前でボランティア活動の誓約書にサインをした。
そして、正式に9月下旬、子ども達の前、エプロン姿で活動を開始する新人ボランティアスタッフの自分がいた。

 

 

(次号に続く)

 
 

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筆者紹介

藤原隆幸(ふじわら たかゆき)
1971 年生まれ。秋田県出身。
新卒後商社、情報処理会社を経て、2000 年9 月 都内SES会社に入社し、IT エンジニアとしての基礎を習得。
その後、主に法律事務所、金融、商社をメイン顧客にSLA を厳守したIT ソリューションの導入・構築・運用等で業務実績を有する。
現在、主にWindows 系サーバーの提案、設計、構築、導入、運用、保守、破棄など一連のサポート業務を担当。

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