現場から  オールドノーマルからニューノーマルへの転換 2020 年 - 2021 年

第1回 コロナ禍前夜

概要

ニューノーマルに変容していくこの時代を一緒に考えていこう

目次
コロナ禍前夜

コロナ禍前夜

 

「月日は百代の過客にして、行き交ふ年もまた旅人なり。」(松尾芭蕉 奥の細道)

 

ラグビーワールドカップでOne Teamの言葉がにわかにクローズアップされ、2020年東京オリンピックを待つだけとなった2019年の年末と2020年の年始を思い出すにも少しは苦労しそうだ。
 
「CPUの取り合いなんです」という購買部。
少なくともその時のIT界隈はWindows7からWindows10への移行で右往左往、Windows Server 2008もEOL(End of Life)を迎えると、物理でサーバを持とうかフルクラウドへ移行しようかとこちらも右往左往。
「あといくら?」お金を数える営業、「あとどのくらい?」時間を数えるプロジェクト、「あと、どのくらいで終わる?」と指を数えるエンジニア。
 
そんな中、新たなトピックスとして「新型コロナウイルスが武漢で発生」というニュースが流れてきた。
といっても扱いとしては小さく、ITはおろか我々の日常生活が変わるという認識は皆無であったであろうし、ただただEOLを迎えたWindows OSの移行をスムーズに問題なく実施することが当時の課題だったであろう。
 
少なくともITという仕事を生業にしている我々エンジニアは新型コロナウイルスが発生する前から、単純なリモートワークはできていた。
例えば、社内サーバで問題があったとき、家からVPNで社内ネットワークへアクセスし社内サーバを調査する、というのはいうまでもない。
 
遡れば東日本大震災後に盛んにBCP(事業継続計画 / Business Continuity Plan)の単語が飛びかい、万が一東京本社オフィスが使用できなくとも、普段は閉じているオフサイトオフィスとして大阪オフィスを作り、費用を払って運用するお客様もいた。
もっと遡れば、2001年9月11日 アメリカ同時多発テロ事件後、ワールドトレードセンター崩落を見たことを機に、バックアップしたDATテープを香港オフィスへ週1回送るということを実施していたお客様もいた。
もっと言おう、インターネット回線を二重化することもあれば、データーセンターの「立地した場所は海抜50mにあります」や「電力会社が電気供給できなくとも最大72時間の電気を供給します」といった謳い文句を比較することもしていた。
もちろん、同じ位セキュリティ対策も蔑ろにしてはいけない。
例えば、指紋認証して入るサーバルームはまるでスタートレックの映画のように、その方法論より華やかさが際立った。
「情報漏洩リスクからサーバルームで異常検知した場合はサーバルームの外から鍵をかけます」というUS本社ITのCTOが声高々に宣言したことに対し「サーバルーム内で作業をして火事になったときはサーバルームから外へ出ることが出来ません。その時はどうするのですか?」という日本人からの質問に「いい質問だ」と、それ以上、返答しなかったこと自体なんて平和だったんだろう。
 
ITという言葉には当然インフラという意味がある。
それは「動いて当たり前、動いていて当たり前」ということだ。
この画面から少し目線をずらしてみよう、その電気、そのガス、その上下水道水、その交通機関、その通信。
当たり前が当たり前ではなくなる時、初めてその恩恵を感じ知ることができてしまうのは皮肉というほかならない。
インフラの意味を含むIT、それに従事する我々ITエンジニアは、その当たり前さ故に何度も岐路に立たされた。
岐路に立たされ、プライベートの時間をも返上して右に行くべきか、左に行くべきかをいつの間にか問うている。
そんな問いは結果として、例えば、サーバがダウンしてもフェイルオーバーで切り替わり、サーバ室からドアを開けて広い部屋にいる200人ほどのユーザーがサーバダウンも知らず、問題があったことも知らず、ある人は目の前モニターを見ながら仕事をし、ある人はコーヒー片手に談笑し、ある人は上司から説教されている。
そんな、そこにあたりまえにある普段の風景、代わり映えのない風景のなんと平和だったことだろうか。
 
そう平和だった、東日本大震災を始まりとした2010年代のITは平和だった。
右往左往しても、サーバルームに閉じ込められてでも、クラウドが我々の仕事を奪うのでは?と危惧しても平和だった、そんな平和を無意識に我々は築きあげていた。
レガシーをまだレガシーとして生かすことが出来た時代でもあった。
二重化、それこそ三重化すればただよかっただけの時代でもあった。
そんなことが言えるくらい、皮肉と自戒を込めて言えば、我々ITエンジニアは我々ITエンジニアだけで通じる言葉で仕事をすれば”とりあえず”は仕事ができた。
あとは、流行りの言葉だったOne Teamに落とし込むか?という課題をどのようにやっつけるかだけだった。
それくらい「ノーマル」を意識しなくともその普段の態度、行動が当時のノーマルだった。
意識しないその(当時の)ノーマルな態度でPC入れ替え、サーバの入れ替えをしてホッと一息つけるかなという2019年年末と2020年年始は「最後の(当時の)ノーマルスタイル」 の年末年始だったんだろう。
 
しかし、その時はすでに号砲が鳴っていた。
「新型コロナウイルスが武漢で発生」というニュースが号砲だったと気づくには少し時間を要したが、確実に号砲が鳴った。
それも2020年が明け、PC、サーバ移行ができたお客様のシステムが順調に運用されていることを日々安堵している中で、Windows7からWindows10への切り替えのCPU争奪戦に敗れたお客様、サーバ移行の費用に「高すぎる」と駄々を捏ねたお客様、そんな後回しにせざるを得ないお客様をこれから相手に仕事をしようと思っていた途中で、雷の稲妻が光ったあとに時間差で雷鳴を聞くように。
やがて、「新型コロナウイルス」が日に日にニュース番組で時間を割くことが多くなってきた。
日に日に、新型コロナウイルス感染者が多くなっていった
日に日に、新型コロナウイルスの拡大が大きくなっていった。
その時、ITエンジニアとして我々は何を思っただろうか?
他人事であっただろうか? それどころじゃないと思っていただろうか?
その手元にあったVPNといったITエンジニアが持つその手段がこれだけメインになると思っていただろうか?
 
そんな日々に割り込む形で新型コロナウイルスが我々ITエンジニアの仕事へ入り込むことを検知できたエンジニアはどれくらいいただろう。
ITエンジニアの役割はリアクティブではなくプロアクティブな態度が必要だということは数々の経験で経てきたし得てもきた。
大きな事件としてのアメリカ同時多発テロ事件でもなく、東日本大震災でもなく、新しい局面としての新型コロナウイルスはそれまでの方法論では立ち行かないのでは? と。
(誤解を恐れずにいえば、新型コロナウイルスはスキルアップ、はたまたビジネスチャンスであるとまで視野を飛躍することができたエンジニアはどれくらいいただろう?)
 
隅田川の屋形船での新型コロナウイルスクラスター発生前後、まるでジャーナリストのように僕は担当する数社のお客様へ訪問の際、こう質問をした。
 
「御社はこの新型コロナウイルスに対して、何か具体的な対策やプランを考えておりますか?あるいは必要とされていますか?」
 
(次号へ続く)

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筆者紹介

藤原隆幸(ふじわら たかゆき)
1971 年生まれ。秋田県出身。
新卒後商社、情報処理会社を経て、2000 年9 月 都内SES会社に入社し、IT エンジニアとしての基礎を習得。
その後、主に法律事務所、金融、商社をメイン顧客にSLA を厳守したIT ソリューションの導入・構築・運用等で業務実績を有する。
現在、主にWindows 系サーバーの提案、設計、構築、導入、運用、保守、破棄など一連のサポート業務を担当。

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