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デジタル海流漂流記 第4回 パーソナル・コンピュータ
2007年08月01日 17:16

情報通信革命の波

1970年代までのコンピュータは、それは高度かつ高価なシロモノであり、大学、研究所や大企業のステイタス・シンボルでもありました。そんな怪物を自在に操るマジシャンのような高等技術者によって、さまざまな発見がなされ、社会が豊かになっていくという構図であったように思います。しかし、情報技術の飛躍的な発達によって、そんな怪物はどんどん小型化し、リーズナブルになった結果、象牙の塔や大企業の奥の院から逃亡(?)し、一般市民に身近な存在になってきました。これが情報通信革命といわれることのひとつの本質でしょう。情報の処理、制作、発信などが、専門家から一般市民にも開放されたのです。

1980年代に入るとマイコン(マイクロ・コンピュータ)と呼ばれる汎用小型のコンピュータが出現しました。おじさんは、マイコンとは個人用(My)コンピュータの意味だと勘違いしていました。そうしたら、次に、パーソナル・コンピュータ(以下、PCと表記します)という呼び名がアップルやIBMによって使用され始めました。やっぱりそういうこと(=個人用)だったのだと妙に納得した次第です。

PCの構造上の特徴は、コンピュータ本体とソフトウエアとの組み合わせによって成り立っているということです。そのことでソフトウエアの世界的共通化が進み、インターネットの技術的基盤ができあがりました。また、キーボード、マウス、ディスプレイ、スキャナーやプリンターなどを必要に応じて外付けする考え方は、たいへん合理的なアーキテクチャー発想です。しかし、おじさんは今でも、デスクの上のラップトップ・パソコンにさまざまなデバイスをコードでつないだ光景を見ると、いつか病院に入院したときを思い出して悲しくなってしまうときがあります。

さて、PCの歴史の薀蓄に紙幅を使うのもほどほどにしなければなりませんが、ともかく、1995年のWindows95の出現によって、おじさんのようにPCのハードウエアの仕組みを正しく理解できなくても、コンピュータを気軽に利用できるようになったことは喜ばしいことでした。

PCとのコラボレーション人生

1990年代のはじめのころでしたか、おじさんは長い(?)ワープロ生活から脱皮し、コンピュータに乗り換えることになりました。(あれっ、ワープロというのもコンピュータの一種とは違うのか?これって定義の問題?・・・このあたりが、アナログおじさんたる所以です)。

所属していた部に、ある朝、2台の大きなデスクトップが配備されたのです。なんとそれはMacでした。おじさんのコンピュータ人生はMacとともに始まりました。当時は、WWWの発明によってインターネットが漸く一般にも普及しだしたころでした。今と違って、なかなかいうことのきかないシロモノでしたが、データ検索が本のページをめくるような感覚が嬉しく、飽きることなくその前に座り続けました。そのころからインターネットは飛躍的に拡大していきます。

いまでも不思議なのは、画面を閉じるボタンが、Windowsは右、Macは左という違いです。どうでもよいことかもしれませんが、自動車でいえば、アクセルとブレーキが反対についているようなものではないでしょうか。ちょっとちがいますか?こんなことぐらい、もういい加減にどちらかをデファクト・スタンダードとするべきだという気がします。資本主義の狭気(=これは当て字?!)というものでしょうか。

そうこうしているうちに、会社から管理職に個人用パソコンが配布されました。もちろん当時は、社内LANと社外通信のすみわけもいい加減でした。なんといっても、管理職の半数以上が折角配給されたPCを開きもしていないわけです。社内のPC講習会も頻繁に開かれましたが、数時間でPCの利用に慣れるはずがありません。「社内報はPCで!」というようなスローガンは虚しいばかりでした。

おじさんは、会社支給のデスクトップと戯れることが日課になりました。しかし、持ち運びに不便ですし、もちろん社外持ち出し禁止でしたから、情報の個人管理も必要なため、自分用のPC(ラップ・トップ)を購入することにしました。1997年でした。確か二十万円を下らなかったと思います。高価な買い物です。以来、現在まで次々と四台の自分専用PCを使ってきました。ここ数年は、朝から晩まで、PCなしには生活できなくなっています。

ちょうど今、次の機種の選定を始めているところです。すでに通常の利用に必要なソフトはほとんど揃ってしまいましたから、今後はメモリーの増量や電池の使用時間延長が機種選択の重要なキーになりそうです。PCは、一般市民生活に必要なレベルまでの進化を完了したのではないでしょうか。

インターネット万歳

そのころ、情報系学部出身の若者が盛んに進めるインターネット・モールにチャレンジする試みがビジネス界で流行しました。また、当時の日経新聞は、連日インターネットに関する特集を組んでいました。なかなか先見の明があったと賞賛するべきでしょう。メディアはそうでなければならないと思います。あれ以来、そういうかたちで未来社会を見はるかすような夢のある報道には出会えていません。あのころの日経新聞の内部事情を詳しく知りたいものです。

そのバーチャル・モールについて、社員に配布された説明資料には、まるで本物の百貨店の見取り図のような断面図が描かれていました。当時のデジタル発想とは、そういうことだったのです。いまでこそ、おじさんもインターネット・モールの世界に実際の百貨店を想像したりしませんが、あのころは、そういうアナログ発想をしないと人々に容易に理解してもらえませんでした。

アナログからデジタルへというのは、空間に対する見方を三次元から二次元に置き換えることだったと思います。今、あらためて新OSの表示が3Dなどというのが不思議な気がします。人間の頭脳というのは、あくまでもアナログにできていて、デジタル化というのは結局、その技術を使ったアナログ表現に回帰(もしくは進化?)していくのでしょうか。

いうまでもなく、インターネットはコンピュータ技術と通信ネットワーク技術によって支えられています。おじさんが最近までイライラしたのは、通信ネットワーク技術でした。最初のころ、外出時は面倒なことに街頭のグレーの公衆電話に接続してメールの受発信をしていました。その後、PHSカードを購入しました。定額方式のカードはつなぎ放題でとても便利でしたが、何分、情報量が少なく、通信状態そのものも不安定でした。今では、自宅や勤務先には光ファイバーのブロードバンドが引かれていますし、外出先でどうしても必要な場合のみ携帯電話につないでパケット通信を行っています。

インターネットの素晴らしさや便利さをあらためて述べる必要はないと思いますが、なんといっても世界中の知識を検索できることには感激します。たいていの調べ物はただちにその解答を見出すことができます。ただし、最近時々思うのですが、どうもその情報の集合(固まり)には偏りがあって、おじさんがどうしても知りたいことについてのサイトがまったく発見できないこともあります。この情報の偏向について、著作権との関係なのか、ビジネス的思惑なのか、それともインターネット特性なのかはわかっていません。

また、最近は、いわゆるオンライン・コミュニティが盛んです。特にSNSはどんどん増殖を続けています。おじさんもあるSNSのメンバーになっているのですが、自分から情報発信をしたことは一回もなく、たくさんの若者の意見や日記を読むのをひそかな楽しみにしています。昔からこういうのをROM(リード・オンリー・メンバー)というのでしたね。

このようなオンライン・コミュニティのありようについて、有識者の分析では、「もうひとつの居場所」と表現されています。なかなかうまい表現だと思いますが、本質はちょっと違うのではないでしょうか。若者たちは、ハンドルネームによる自己表現によって、日常生活では容易に許されない自己顕示欲と若干のスリルを合わせて楽しんでいるというのが本音かも知れません。ゲーム的感覚のようにも感じています。このことについてさまざまな意見を見聞きしますが、要は、急激に拡大するSNSについて分析や理論が追いついていないのです。

確実に世の中は、Web2.0に向かって進んでいます。さらなるユビキタス社会は到来するでしょう。昔と比べると、すでにそう呼ぶにふさわしい社会になったかもしれません。課題は、そのようなICT技術の発展がもたらす社会とはどんな社会かということです。過去四回にわたってデジタル海峡の荒波(?)について思い出すままに記してきました。次回から、その荒波にもまれながら、おじさんの乗った小船はどこへ向かうのか。そんな情報社会の未来を眺望してみましょう。

コラム CIOへのメッセージ -アーカイブ-
デジタル海流漂流記

「木の葉のような小船に乗って、高波が次から次へと押し寄せるデジタル海峡に漕ぎ出した、身の程知らずの団塊の世代」の好奇心だけは旺盛なおじさんが、悪戦苦闘しながら過ごしたビジネス人生を振り返りながら、「わたしたちは、どこから来て、どこへ行くのだろうか」という人間の普遍的ともいえる問いかけのこたえを模索する物語を連載シリーズとして掲載いたします。

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筆者紹介

松井一洋(まつい かずひろ)
広島経済大学経済学部教授(メディア産業論,eマーケティング論,災害情報論) 1949年生れ。大阪府出身。早稲田大学第一法学部卒業。阪急電鉄(現阪急HD)に入社。運転保安課長や教育課長を経て,阪神淡路大震災時は広報室マネージャーとして被災から全線開通まで,163日間一日も休まず被災と復興の情報をマスコミと利用者に発信し続けた。その後,広報室長兼東京広報室長、コミュニケーション事業部長、グループ会社二社の社長等を歴任。2004年4月から現職。NPO日本災害情報ネットワーク理事長。著書に『災害情報とマスコミそして市民』ほか。

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