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新・玄マンダラ 第11回 世界遺産と拝観ビジネスモデル
2010年01月27日 13:27

昨年の晩秋の頃文化の日の休暇を利用して日光を訪ねた。 最近は、寺社仏閣の拝観というよりも、奥日光や奥鬼怒の自然を訪ねることが多い。 初日は湯元から草紅葉の戦場ヶ原を歩いた。 二日目はあいにくの雨であったので、予定を変更して久しぶりに寺社仏閣を拝観することにした。 この年は特別拝観ということで普段拝観できない場所も拝観できる。 今回は、立木観音、大猶院、二荒山神社、東照宮、輪王寺(三仏堂)を訪ねた。 その中から、立木観音と、大猶院での話題を書いてみたい。 話題に入る前に、少し、日光の由来を散歩しておく。

日光の世界遺産とは

日光が世界遺産に指定されて、10年となる。 日光は、1999年にユネスコ世界遺産委員会で文化遺産として登録された。日光の世界遺産登録の正式名称は「日光の社寺」である。 世界遺産としては、日光東照宮 、日光二荒山神社 、日光山輪王寺 の103棟(国宝9棟、重要文化財94棟)の「建造物群」と、これらの建造物群を取り巻く「遺跡(文化的景観)」である。 輪王寺に属する殆どの寺社仏閣が世界遺産の対象となっている。 輪王寺は、天台宗寺院である。創建は奈良時代にさかのぼり、近世では徳川家の庇護を受けて繁栄を極めた。明治初年の神仏分離令によって寺院と神社が分離されてからは、東照宮、二荒山神社と輪王寺として「二社一寺」と称されているが、これらを総称して「日光山」という。 「輪王寺」は日光山中にある寺院群の総称であり、堂塔は、広範囲に散在している。 国宝、重要文化財など多数の文化財を所有し、徳川家光をまつった大猷院霊廟や本堂である三仏堂などが含まれる。 ちなみに現在ユネスコの世界遺産条約締結国は2009年現在で、186ヶ国であり、日本は、1992年に、125番目の締結国として参加したのでいわば世界のメンバーとしては新参者というところである。 条約を締結すると、世界遺産基金への出資が義務づけられることになる。 日本は、ユネスコ全体で100億円規模の出資を毎年行っているとされる。

日光開山と補陀落山信仰 
日光開山の歴史は世界遺産としての東照宮の時代より遙かに遡る。 奈良時代に勝道上人が日光三山と中禅寺湖を補陀落山信仰の聖地として開いたことに創るとされる。 中善寺湖畔に立木観音(正式には輪王寺別院中善寺と呼ぶ天台宗の寺院)がある、板東札所の18番であり、かつて息子と札所巡りで訪ねたこともある。 この本尊は、十一面千手観音であり、約5メートルの巨大な観音像である。 この仏は、日光開山の勝道上人が延暦年間(奈良時代末期)にカツラの立木に彫刻したとの伝承があり、そこから立木観音と通称されている。 カツラ材の一木彫で、42本の手などは寄せ木で造られている。 1902年(明治35年)の暴風雨の時、男体山の山津波により中禅寺湖に流されたが、3日後奇跡的に浮かび上がり、現在の中禅寺湖東岸の立木観音本堂に安置された。 これが現在の立木観音となっている。 最初の寺は男体山の山中にあったのであろう。災難から逃れた由来により、苦難や災事を乗り越える力を与えてくれるとして信仰を集めるようになった。所願成就が御利益である。いろは坂を下り、東照宮境内に、本院の輪王寺三仏堂がある。日光山全体のお寺を統括するのが輪王寺である。名前から判るように代々皇族が宮司を務める寺である。輪王寺宮とは、江戸時代の門跡であり、1634年御水尾天皇の第3子が日光の輪王寺に入ったことから輪王寺宮と呼ばれるようになり、日光の輪王寺と寛永寺の門主を兼ねた。 戊辰戦争では、輪王寺宮能久親王が彰義隊とともに上野山戦争を闘いそのあと戊辰戦争のシンボルとなっていく。幕末の会津城主の松平容保は、戊辰戦争に敗れたあと、明治時代になり、東照宮の宮司を務めているのはこうした関係のためである。そのあと輪王寺宮能久親王はもとの北白川姓に戻り陸軍中将となる。北の丸の公園の入口に馬に乗った銅像がある。 

日光の起源は補陀落山信仰

日光という名前の由来は、「二荒山」から来ている。 観音信仰である補陀落山信仰の補陀落(ふたらく)がなまって(ふたあら)となり、後に空海が「日光」と名付けたという伝説がある。 元来この日光連峰は二荒連峰と呼ばれていたが、二荒が日光になった。 その二荒連峰は3つの代表的な山からなる。 三つの山とは、男体山(二荒山、2486メートル)、女峯山(2464メートル)、太郎山(2368メートル)の三山である。 山を神体とする、いわゆる神奈備信仰であり、神が鎮まる霊峰として古くから山岳信仰の対象であった。 この日光の神々は「日光三山」「日光三所大権現」などとも呼ばれ、名前からもわかる通り、親子関係である。 三つの山の神は、大己貴命(オオナムチノミコト)、田心姫命(タキリヒメ)、味耜高彦根命(アジスキタカネヒコ)、であり、これらの三神を総称して二荒山大神と称している。 さらには本地垂迹説により、男体山には、大己貴命と千手観音、女峯山には、田心姫命と阿弥陀如来、そして、太郎山には、味耜高彦根命と馬頭観音という具合に、それぞれの神に仏が当てられ、輪王寺の三仏堂にはこれらの仏を祀っている。 堂を圧倒する、巨大な金箔の像である。

東照宮へ

徳川家康は1616年に死去した、遺骸は駿府久能山の東照宮に祭られたが、徳川家康の遺言により、翌年に下野の国の現在のところに改葬された。ここに日光東照宮となる。東照宮という名前にみるように神仏習合で、薬師如来を本地仏として祭っている。徳川家光の時代に、大々的な改築、増築が行われ現在の原型が出来た。その家光の廟が現在の大猶院となっている。東照宮は、明治の神仏分離令により、東照宮と二荒山神社と、輪王寺に分離させられた。 

日光の由縁の散歩は、この程度にして今回の話題を書いてみたい。

立木観音での話題

今回は、湯元から戦場ヶ原を歩いて、竜頭の滝に出た、そこから徒歩10分菖蒲が浜から遊覧船に乗って、立木観音で下船した。 寺院の正門でなく、下船場所が立木観音の拝観券の販売所となっている。 遊覧船を下りた観光客はぞろぞろと立木観音に向かうことになる。 一人500円の拝観料を払うことになる。 4-5人のお坊さんが迎えて、まるで羊(観光客)を追う番犬のようにして、それとなく、観光客を本堂の入口の方に誘導する。 そこに、10数人の観光客がプールされることになる。観光客がたまると、本堂の扉をあけて本堂に誘導する。眼前には上述の5メートルの巨大な木造の立木の千手観音があり、驚きの一瞬が訪れる。 お坊さんは、観音像の由来を一通り説明する。現在でも根を張っているという説明に観光客は驚くが、それは、もともとこの地にあった仏様でないという由来を知る限り信じがたいことである。

簡単な説明が終わると、この観音の御利益は所願成就であるとして、干支を梵字で表したお守りの説明を延々と始める。願いを強くかけ続けるとお守りの石の色が変化するという。所願が成就すると黄色になるという。一見したところガラスのように見えるが温度か、経年変化で色が変化するような性質の材料であろうと思う。このお守りは、本堂の千手観音の前、つまり、この瞬間にしか購入することは出来ないという。そんな話に興味はないので、堂内の見学始めようとすると、どこから現れたのはもう一人のお坊さんが、群れから離れた羊を追う犬のように集団に戻るように無言で牽制する。堂内をみると、説明の途中で堂内を歩かないようにと書いてある。お守りの宣伝が観音様の説明ではあるまいと言いたくなる。お坊さんの巧みな話術と堂内の巨大な観音仏から発するオーラで、観光客は競ってお守りを求めることになる。 2000円也である。家族の分も求める人も見受けられた。ゆっくりと観音様と対面する時間もない。

ひとわたり、説明(お守りの販売)が終わると、一同を引き連れて、新たに構築された祈祷所に案内される。ここで、記帳すると、一年間、この寺で祈祷されるという、住所と名前と「願」を、書き込むが、住所氏名だけ書けば、お坊さんが「願」の種類を聞いて、名前の上に該当する既成のゴム印でポンポンと「願種」を押す。 お土産に、木製の木槌をくれる。 これで2000円である。 なるほど、所願成就のお守りを買わせて、ここで、その所願を祈祷させるということである。

さて、次はなにになるのかと、思っていると、次は、お線香と数珠の販売であった。 ここでかけた「願」を、毎日仏壇で祈るときに、立木観音特製の、日光の素材で作ったお線香を使いなさいということである。線香は、1000円と2000円がある。ここまで間は、観光客は自由度がない。ここで、やっと開放されることになる、お坊さんのガイドは終わり、あとは、欄干から境内と中禅寺湖の景色をお楽しみくださいということで開放される。気の済むまで堂内を拝観することは出来ない仕組みになっていた。

フルコース(?)だと、拝観料500円、お守り2000円、祈祷代2000円、お線香1000円ということになり、締めて5500円となる。 小生は祈祷だけお願いした。 15-16人はいたであろうから、販売率50%とすれば、42000円の売上げとなる。 時間は、せいぜい30分というところであろうか。これだけの伽藍(設備)とスタッフ(坊主)を維持するには大変なコストが懸かることは想像がつく。寺社のビジネスモデルは、ご利益があれば信者の寄付とお布施が本来の寺院の維持費となるのであるが、世界遺産となると、ビジネスモデルは変わるのであろうか。拝観料を取りながら、実は、押し売りではないが、観音様の御利益という、形をかえての押し売りもどきであるように小生には見えるのであるが。

大猶院での話題

いろは坂を下ると東照宮へは西参道から入ることになる、つまり逆コースで廻ることになる。 入口で、共通拝観券を求める、4つの寺社の拝観料をまとめて1000円である。 最初に拝観するのは、大猶院となる。 家光が財力を投じて東照宮を改築したときに東照宮を模して建てたものであるだけにその伽藍は素晴らしい。この時期か、今年だけなのか、知らないが特別拝観であるという。それは、将軍しか入ることが出来ない場所に入れるというのである。さすがに、ここは観光客が多い。30-40人程度の観光客にお坊さんが二人つくことになる。堂内に順次誘導する。ここは下足禁止である。ここには歴代の徳川将軍の位牌が安置されており、その真ん中、正面に家光の位牌が安置されている。堂内に座ると、お坊さんの説明が始まる。 一通り説明が終わると、天蓋をさして、この天蓋の下に座ることが出来るのは将軍だけであるという、天蓋の広さは畳半畳程度であるので、そこに座った人々が今日の将軍であるという。その人は、今日は幸運があると説明する。順繰りに交代してお座りくださいということになる。参拝客は競って交替にその場所に殺到する。 

続いて、突然金色の金属の破魔矢を取り出し、破魔矢の説明が始まる。これが長い。要約してみると、大猶院の、二つめの門が、夜叉門である。 夜叉門には4つの仏像がある、背面の左側にある仏像が、夜叉の一つである烏摩勒伽(うまろきゃ)である。 この右手に握られている矢を破魔矢という。日本中に出回っており、正月に神社で売られているあの破魔矢の原典は、大猶院の烏摩勒伽の破魔矢であるという。 その大きさは35センチと決まっているという。大猶院ではその破魔矢を「龍神破魔矢」と呼び、さまざまな恵を万物に施す「昇り龍」が刻まれ、矢の先には、過去、未来を守護する、弥陀、釈迦、の常住仏の御影が梵字で刻まれているという。この破魔矢は、家族の守護と所願成就であるという。仏壇、神棚、家族の集まる部屋に、羽を下にして祭ることで、御利益があるという説明である。家族にあまりよいことが無いときには、玄関に矢を外向きにして祭ると良いという。参拝客は、日頃、初詣で何の気になく求めている破魔矢の原本がこの大猶院の夜叉門の烏摩勒伽が携えている矢であることを知り、かつ、将軍様しか座れない座敷に座ったことで、破魔矢の御利益にすっかり虜になるのである。
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夜叉門の烏摩勒伽 右手に破魔矢を持ち、左手に破魔弓を持つ
そして、堂の出口で、多くの人がこの破魔矢を求めることになる。3000円である。すべては自己責任、これもまた、見事なビジネスモデルであると、感心することしきりである。販売率は30%というところであろうか、30分の説明で45000円のお布施(?)のモデルである。我が家も、その中の一人、見事なお坊さんの説教に乗せられて、求めた。今は、仏壇に祭ってある。きっと、身の周りの災害から守ってくれるであろう。 

世界遺産はお坊さんの心まで変えるのか

世界遺産となり、世界中から観光客が押し寄せているであろう。とりわけ、中国、韓国の言葉をどこでも聞くこと画出来る。 こころない人もいようし、テロからの予防もあろうからこうした多くのおお坊さんを動員して観光客の管理をするのは時代の趨勢なのであろうが、それだけではあるまい。海外の観光客にこのビジネスモデルがどこまで通用するか判らないが、日本人には極めて有効であろう。 とりわけ、シニアの人々にとっては、有効なマーケティングであると感心するのである。あくまでも押し売りでなく、説明するだけであり、あとは、お客様の自由意志である。「御利益」という殺し文句は、お守りを歴史とご縁をつなぐか、神仏にご縁を繋ぐとき、決定的に有効となるものである。 若いお坊さんが見事なプレゼンテーションで観光客から喝采を浴びているが、しかし、小生には、どこか、人の弱みを利用したビジネスモデルに見えてしまうのである。エスカレータ方式でなく、制約もなく、もっと、自然体で、世界遺産をこころゆくまで堪能してみたいという気分で大猶院をあとにすることになる。東照宮や輪王寺など修理のための雨避けの覆いが目に付いた。 世界遺産登録とは、本来は後世のためへの保存が目的なのであろうが、実態はその目的は観光力(ビジネス)の増強であり、皮肉なことに、保存よりも破壊を加速するという影響が出ているのではなかろうか。 よもや、お坊さんに成果主義の導入などという馬鹿なことが起きるとは思えないが。こうした風潮はいずれはお坊さんの心の中まで変えてしまうのではないかと感じた一日であった。この日は、「冬一番」であり、裏日本では雪が降ったという。 夜叉門を出ると、小雨に煙る境内は、大きな杉並木の間に紅葉が見事であった。 

以上。
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新・玄マンダラ

これまで一年半にわたり、「玄マンダラ」をお読みいただき感謝申し上げます。 平成21年7月から、装いを改め、「新・玄マンダラ」として、新しい玄マンダラをお届けすることになりました。 ITの世界に捕らわれず、日々に起きている事件や、問題や、話題の中から、小生なりの「気づき」を、随筆風のコラムにしてお届けします。 執筆の視点は、従来の玄マンダラの発想を継承し、現在及び将来、経営者として、リーダーとして、心がけて欲しい「発見」を綴ってみたいと思います。 引き続き、お付き合いを御願いします。 職場で、あるいは、ご家庭での話題の一つとしてお読みください。

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筆者紹介

伊東 玄(いとう けん)
RITAコンサルティング・代表
1943年、福島県会津若松市生まれ。 1968年、日本ユニバック株式会社入社(現在の日本ユニシス株式会社) 技術部門、開発部門、商品企画部門、マーケティング部門、事業企画部門などを経験し2005年3月定年退社。同年、RITA(利他)コンサルティングを設立、IT関連のコンサルティングや経営層向けの情報発信をしている。 最近では、情報産業振興議員連盟における「日本情報産業国際競争力強化小委員会」の事務局を担当。

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