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新・玄マンダラ 第9回 事業仕分けとスパコン議論に思う 「予算執行の見える化、それは、政治の見える化」
2009年12月09日 13:23

来年度予算が、95兆円と大きく膨らんでいる中で、公開での「事業仕分け」作業が始まった。 これを巡り賛否両論が連日マスコミを賑わせている。 「どこか大事なところ」が欠落しているのではないかという印象が払拭できない。 その「どこか大事なところ」と感じているところを自分なりに明かにしてみたいと思ってこの別冊・玄独言録を作成してみることにした。

予算の透明性、見える化は、歴史的な一歩

国家の予算の使い方が国民の目にさらされることは画期的なことであると思う。 マスコミの論調も国民の一般的な感覚もこの作業は歓迎されていると思う。 今回対象となるのは、どうやら官僚天下りの機関のやっている事業が中心であり、政府全体で3000にも及ぶ事業範囲からみると10%程度の限定案件であると思うが、初年度であり、初めての挑戦であるので当然であろう。 本来は全ての予算項目について時間をかけてでも為されるべきであろう。 それでも、改めて、官僚の天下りの機関が多数あり、その経営も効果もバラバラであることが白日のもとに曝されている。 予算を執行する機関のすべての機能をテーブルにのせ、重複を排除して、資金と人材と設備の有効化を目指す方向に向かって欲しいと、心から思う。 民間経営では、日常でも当然であるが、この不況景気の中で、一層の「経営の見える化」が問われる。 それに比較するとき、天下りの温床とされ、100を越える独立行政法人の予算を含む、「国家予算の見える化」はあまりにも杜撰だと多くの国民は感じていると思う。 今回の事業仕分けは、「国家予算の見える化」にむけての、歴史的な一歩であると評価すべきであろうと思う。 今年の実験から多くの学習をしてこの仕組みを是非定着させて欲しいと願っている。 このことは他人事ではない。 企業においても、同様である。予算の見える化を目指して、企業においても、それぞれの事業を、経営、社員、株主、第3の識者が、同様の仕組みを取り入れてみてはどうであろうかと思う。

事業仕分け人と官僚の資質

内容の理解も未熟であり、かつ、短時間で表層的な理解のもとに仕分けが行われている、これはまるで「紅衛兵」であるという指摘がある。 一方では、官僚の説明があまりにも下手であるという指摘がある。 TVでは部分的に切り取って、マスコミの意図のもとに誇張されるが、それは、マスコミの本質的な体質である。 事業仕分けをワイドショウにしてしまうのがマスコミである。 今回は、TVのみならずウエブでもその一部始終が公開されていることが良い。 上述の資質への指摘は当然であろう。 対象事業の全てにわたり、担当官僚や予算執行の当事者能力を超える内容理解力のある人が仕分け人に当たることは不可能である。 仕分け人はそれぞれ自分の担当分野の能力で常識的な国民目線と、政治の意図を背景にして、疑問点を指摘している。 だから、専門的な視点からみれば未熟と指摘されるようなことは当然発生するが、それを越える国民的視点に立っての指摘がされていると感じている。 政権が交代して国民が期待していることは、政権を担当せずに政権を外からみてきた政治家が、自民党を反面教師として行動することである。 局地論を言えばさまざまな批判があろうが、マクロに見るときは、これでよいのではなかろうか。 まして、今回は初めての実験的な学習である、今後の学習効果は飛躍的に期待できる。 小生は、初年度の仕分け人の資質としては細かいところはさておき、好感をもってみている。 それに比較するとき、マスコミの恣意的な画面編集もあろうが、やはり、官僚のプレゼンはお粗末である。 まるで説得力がない。 物事の本質を理解して説明できない惰性慣性で予算を執行している姿が浮き彫りになっているのではなかろうか。 それに比較して、現場を実際に担当している毛利氏のような人物の発言は説得力がある。目的、実績を事実で示し、そして文科省の複雑な管理組織体制による組織運営の無駄をキチンと指摘していた。 そして、どの官僚の説明にも共通して感じるこのモノトーン的な雰囲気に気付いているのであろうか。 決められた時間で相手を説得する技術は政治家の仕事であり、そのための情報を提供するのが官僚の役目であるという慣習が丸見えとなった。国民は官僚を選択できないが、政治家は選択できる。 これをみて、能力の高い政治家を選挙するという意識が高まるとよい。 仕分け人と官僚の能力が対照的となったことも貴重な学習であろう。

スパコン議論と科学技術立国論、日本をMOTせよ!

この問題は科学技術予算の有効性の再点検が本質であり、スパコンはその象徴に過ぎない。 文科省は、年間、4-5兆円の予算を執行する最大規模の省庁である。 111の独立行政法人の中で最大数の27の独立行政法人をもっている。 その内容は、科学技術総合会議で議論され予算が執行されてきた。 しかし、その実態が透明化されることはなかった。 今回の事業仕分けはそこに問題を投げかけている。 仕分け人は、科学技術のなんたるかが判っていないという反論が彷彿として起きている、後ろで文科省が、政治に圧力をかけているのは見え見えである。 ノーベル賞受賞者を動員して、日本が生きる道は科学技術立国しかないと言わせている。 そんなことは、国民は知っているし、仕分け人も国民以上に知っている。 その上で、本当に、予算が、科学技術立国の形成のために、効果的に活用されているのかを再点検して欲しいという主張なのである。 科学者は、科学とは、投資効果で見るべき者ではないと指摘する。 歴史の審判を受けるとまで言い切った。 しかし、それは一面の真理であり、それが全てというのは間違いであると思う。 時間軸の問題である。 基礎研究と科学技術の問題であるが、日本が科学技術立国を目指すならその連携は意図的に図らなければならない。 やはり、将来の国富を富ませるための、国民の財産を効果的に活用するべきなのである。 科学者は、日本は科学技術立国でしか生きる道はないといいつつ、そこに経済性を持ち込むべきではないと指摘する。 科学技術立国とは技術により経済的にも立国することを意味する。 国破れて山河ありではすまされない。 日本という国家が未来永劫生き残るための科学技術立国でなければ全く意味がない。

 文科省や、その他の省庁が管轄する大學や、研究機関全体を、日本がどんな科学技術立国を目指すのかその姿を鮮明にした上で、戦略的にMOT(Management On Technology)し、大胆に、集中的に科学予算を執行すべなのである。 仕分け人は、日本のMOTの仕組みにまで踏み込んで効果的な予算の執行へむけての改革を提言して欲しい。  そうでないと、ノーベル賞受賞の科学者が、文科省に踊らされて日本は科学技術立国と唱えても、実に空々しい「科学技術立国」となろう。 ちなみに、この言葉を科学者や文科省が唱えて、一体何年になるのであろうか、そして、何時日本は、世界の科学技術立国となるのであろうか。 この15年で、すでに、70兆円もの科学技術予算が投下されている。 しかし、日本が世界の科学技術のハブとして存在感を発揮しているとは思われない。 文科省や、科学者が、描く、日本の科学技術立国とは、どんな姿なのであろうか。 ここでも、戦略の確認と、予算投資の見える化が必須である。 スパコン問題は、単純に世界一のスパコン開発ということではなく、こうしたことを象徴的に指摘しているのである。 言葉の表層に意図的に拘るのではなく、本質的なところに目をむけて欲しい。 欧米でもない、中国でもない、インドでもない、シンガポールでもない、日本の技術立国モデルを描くことこそ必要とされることである。 そしてその実現にむけて、国家レベルでのMOTを力強く推進し、世界の頭脳が日本に集結するような、科学技術立国と成って欲しい。

事業仕分けの本質的な意味

小生は、事業仕分けへの挑戦を高く評価する。 小生はかねてより政府のBPR(Business Process Re-engineering)が必須であると述べてきた、仕事のプロセス改革である。それを、GPR(Government Process Re-engineering)と呼んできた。 それは政権が交代したタイミングでしか出来ない。 この事業仕分けは、政府のBPR(あるいはGPR)である。 時代は、あらゆる組織活動のイノベーションを必要としている。 GPRをさらに進めてGPI(Government Process Innovation)を起こして欲しい。 今年の「事業仕分け」は、そのプロトタイピングをしているのである。  細かいレベルでは、仕分け人の選定に始まり、いろいろな課題はあろうが、すべては学習である。 「予算を見える化」するということが今回の最大の目的であるとみている。 「予算を見える化」するということは、取りも直さず、「政治の見える化」となり、「行政機構とそれに関係する諸機関の見える化」つまり、「政治と行政の見える化」に繋がっていく。 これこそ、今回の事業仕分けの本質的意味である。 その本質的な意味に気付いているからこそ、官僚は、さまざまなあら探しをして自らの予算作成執行の従来体制を維持するために姑息な手段を講じてくる。 マスコミはその抵抗勢力のお先棒を担ぐのではなく、この機会をGPIの機会として応援して欲しい。 事業仕分けの本質的な意味、「政治と行政の見える化」にむけて、この流を本格化して定着させなければならない。 そして、次に期待されることは、仕分けされた「事業の成果の見える化」である。 そこにこそ、政府が進める、IT新改革戦略 のIT活用の意味がある。

以上。v来年度予算が、95兆円と大きく膨らんでいる中で、公開での「事業仕分け」作業が始まった。 これを巡り賛否両論が連日マスコミを賑わせている。 「どこか大事なところ」が欠落しているのではないかという印象が払拭できない。 その「どこか大事なところ」と感じているところを自分なりに明かにしてみたいと思ってこの別冊・玄独言録を作成してみることにした。

予算の透明性、見える化は、歴史的な一歩

国家の予算の使い方が国民の目にさらされることは画期的なことであると思う。 マスコミの論調も国民の一般的な感覚もこの作業は歓迎されていると思う。 今回対象となるのは、どうやら官僚天下りの機関のやっている事業が中心であり、政府全体で3000にも及ぶ事業範囲からみると10%程度の限定案件であると思うが、初年度であり、初めての挑戦であるので当然であろう。 本来は全ての予算項目について時間をかけてでも為されるべきであろう。 それでも、改めて、官僚の天下りの機関が多数あり、その経営も効果もバラバラであることが白日のもとに曝されている。 予算を執行する機関のすべての機能をテーブルにのせ、重複を排除して、資金と人材と設備の有効化を目指す方向に向かって欲しいと、心から思う。 民間経営では、日常でも当然であるが、この不況景気の中で、一層の「経営の見える化」が問われる。 それに比較するとき、天下りの温床とされ、100を越える独立行政法人の予算を含む、「国家予算の見える化」はあまりにも杜撰だと多くの国民は感じていると思う。 今回の事業仕分けは、「国家予算の見える化」にむけての、歴史的な一歩であると評価すべきであろうと思う。 今年の実験から多くの学習をしてこの仕組みを是非定着させて欲しいと願っている。 このことは他人事ではない。 企業においても、同様である。予算の見える化を目指して、企業においても、それぞれの事業を、経営、社員、株主、第3の識者が、同様の仕組みを取り入れてみてはどうであろうかと思う。

事業仕分け人と官僚の資質

内容の理解も未熟であり、かつ、短時間で表層的な理解のもとに仕分けが行われている、これはまるで「紅衛兵」であるという指摘がある。 一方では、官僚の説明があまりにも下手であるという指摘がある。 TVでは部分的に切り取って、マスコミの意図のもとに誇張されるが、それは、マスコミの本質的な体質である。 事業仕分けをワイドショウにしてしまうのがマスコミである。 今回は、TVのみならずウエブでもその一部始終が公開されていることが良い。 上述の資質への指摘は当然であろう。 対象事業の全てにわたり、担当官僚や予算執行の当事者能力を超える内容理解力のある人が仕分け人に当たることは不可能である。 仕分け人はそれぞれ自分の担当分野の能力で常識的な国民目線と、政治の意図を背景にして、疑問点を指摘している。 だから、専門的な視点からみれば未熟と指摘されるようなことは当然発生するが、それを越える国民的視点に立っての指摘がされていると感じている。 政権が交代して国民が期待していることは、政権を担当せずに政権を外からみてきた政治家が、自民党を反面教師として行動することである。 局地論を言えばさまざまな批判があろうが、マクロに見るときは、これでよいのではなかろうか。 まして、今回は初めての実験的な学習である、今後の学習効果は飛躍的に期待できる。 小生は、初年度の仕分け人の資質としては細かいところはさておき、好感をもってみている。 それに比較するとき、マスコミの恣意的な画面編集もあろうが、やはり、官僚のプレゼンはお粗末である。 まるで説得力がない。 物事の本質を理解して説明できない惰性慣性で予算を執行している姿が浮き彫りになっているのではなかろうか。 それに比較して、現場を実際に担当している毛利氏のような人物の発言は説得力がある。目的、実績を事実で示し、そして文科省の複雑な管理組織体制による組織運営の無駄をキチンと指摘していた。 そして、どの官僚の説明にも共通して感じるこのモノトーン的な雰囲気に気付いているのであろうか。 決められた時間で相手を説得する技術は政治家の仕事であり、そのための情報を提供するのが官僚の役目であるという慣習が丸見えとなった。国民は官僚を選択できないが、政治家は選択できる。 これをみて、能力の高い政治家を選挙するという意識が高まるとよい。 仕分け人と官僚の能力が対照的となったことも貴重な学習であろう。

スパコン議論と科学技術立国論、日本をMOTせよ!

この問題は科学技術予算の有効性の再点検が本質であり、スパコンはその象徴に過ぎない。 文科省は、年間、4-5兆円の予算を執行する最大規模の省庁である。 111の独立行政法人の中で最大数の27の独立行政法人をもっている。 その内容は、科学技術総合会議で議論され予算が執行されてきた。 しかし、その実態が透明化されることはなかった。 今回の事業仕分けはそこに問題を投げかけている。 仕分け人は、科学技術のなんたるかが判っていないという反論が彷彿として起きている、後ろで文科省が、政治に圧力をかけているのは見え見えである。 ノーベル賞受賞者を動員して、日本が生きる道は科学技術立国しかないと言わせている。 そんなことは、国民は知っているし、仕分け人も国民以上に知っている。 その上で、本当に、予算が、科学技術立国の形成のために、効果的に活用されているのかを再点検して欲しいという主張なのである。 科学者は、科学とは、投資効果で見るべき者ではないと指摘する。 歴史の審判を受けるとまで言い切った。 しかし、それは一面の真理であり、それが全てというのは間違いであると思う。 時間軸の問題である。 基礎研究と科学技術の問題であるが、日本が科学技術立国を目指すならその連携は意図的に図らなければならない。 やはり、将来の国富を富ませるための、国民の財産を効果的に活用するべきなのである。 科学者は、日本は科学技術立国でしか生きる道はないといいつつ、そこに経済性を持ち込むべきではないと指摘する。 科学技術立国とは技術により経済的にも立国することを意味する。 国破れて山河ありではすまされない。 日本という国家が未来永劫生き残るための科学技術立国でなければ全く意味がない。

 文科省や、その他の省庁が管轄する大學や、研究機関全体を、日本がどんな科学技術立国を目指すのかその姿を鮮明にした上で、戦略的にMOT(Management On Technology)し、大胆に、集中的に科学予算を執行すべなのである。 仕分け人は、日本のMOTの仕組みにまで踏み込んで効果的な予算の執行へむけての改革を提言して欲しい。  そうでないと、ノーベル賞受賞の科学者が、文科省に踊らされて日本は科学技術立国と唱えても、実に空々しい「科学技術立国」となろう。 ちなみに、この言葉を科学者や文科省が唱えて、一体何年になるのであろうか、そして、何時日本は、世界の科学技術立国となるのであろうか。 この15年で、すでに、70兆円もの科学技術予算が投下されている。 しかし、日本が世界の科学技術のハブとして存在感を発揮しているとは思われない。 文科省や、科学者が、描く、日本の科学技術立国とは、どんな姿なのであろうか。 ここでも、戦略の確認と、予算投資の見える化が必須である。 スパコン問題は、単純に世界一のスパコン開発ということではなく、こうしたことを象徴的に指摘しているのである。 言葉の表層に意図的に拘るのではなく、本質的なところに目をむけて欲しい。 欧米でもない、中国でもない、インドでもない、シンガポールでもない、日本の技術立国モデルを描くことこそ必要とされることである。 そしてその実現にむけて、国家レベルでのMOTを力強く推進し、世界の頭脳が日本に集結するような、科学技術立国と成って欲しい。

事業仕分けの本質的な意味

小生は、事業仕分けへの挑戦を高く評価する。 小生はかねてより政府のBPR(Business Process Re-engineering)が必須であると述べてきた、仕事のプロセス改革である。それを、GPR(Government Process Re-engineering)と呼んできた。 それは政権が交代したタイミングでしか出来ない。 この事業仕分けは、政府のBPR(あるいはGPR)である。 時代は、あらゆる組織活動のイノベーションを必要としている。 GPRをさらに進めてGPI(Government Process Innovation)を起こして欲しい。 今年の「事業仕分け」は、そのプロトタイピングをしているのである。  細かいレベルでは、仕分け人の選定に始まり、いろいろな課題はあろうが、すべては学習である。 「予算を見える化」するということが今回の最大の目的であるとみている。 「予算を見える化」するということは、取りも直さず、「政治の見える化」となり、「行政機構とそれに関係する諸機関の見える化」つまり、「政治と行政の見える化」に繋がっていく。 これこそ、今回の事業仕分けの本質的意味である。 その本質的な意味に気付いているからこそ、官僚は、さまざまなあら探しをして自らの予算作成執行の従来体制を維持するために姑息な手段を講じてくる。 マスコミはその抵抗勢力のお先棒を担ぐのではなく、この機会をGPIの機会として応援して欲しい。 事業仕分けの本質的な意味、「政治と行政の見える化」にむけて、この流を本格化して定着させなければならない。 そして、次に期待されることは、仕分けされた「事業の成果の見える化」である。 そこにこそ、政府が進める、IT新改革戦略 のIT活用の意味がある。

以上。
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新・玄マンダラ

これまで一年半にわたり、「玄マンダラ」をお読みいただき感謝申し上げます。 平成21年7月から、装いを改め、「新・玄マンダラ」として、新しい玄マンダラをお届けすることになりました。 ITの世界に捕らわれず、日々に起きている事件や、問題や、話題の中から、小生なりの「気づき」を、随筆風のコラムにしてお届けします。 執筆の視点は、従来の玄マンダラの発想を継承し、現在及び将来、経営者として、リーダーとして、心がけて欲しい「発見」を綴ってみたいと思います。 引き続き、お付き合いを御願いします。 職場で、あるいは、ご家庭での話題の一つとしてお読みください。

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筆者紹介

伊東 玄(いとう けん)
RITAコンサルティング・代表
1943年、福島県会津若松市生まれ。 1968年、日本ユニバック株式会社入社(現在の日本ユニシス株式会社) 技術部門、開発部門、商品企画部門、マーケティング部門、事業企画部門などを経験し2005年3月定年退社。同年、RITA(利他)コンサルティングを設立、IT関連のコンサルティングや経営層向けの情報発信をしている。 最近では、情報産業振興議員連盟における「日本情報産業国際競争力強化小委員会」の事務局を担当。

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