元気なこころを維持するためのメンタルヘルス対策
第1回 メンタル不調を防ぐコミュニケーション
IT業界のように慢性的に多忙なところでは、日々の業務に追われスタッフ間で満足なコミュニケーションが取れていないケースも珍しくないと思われます。業務上の連絡はメールやスケジュール管理ソフトなどを利用してスムースに行うことができても、お互いの表情や微妙なニュアンスが伝わらず、ささいな誤解が生じかねないなど、関係性に影響を与えることも珍しくありません。メンタルヘルス対策の視点で考えれば、コミュニケーションの減少により、お互いの様子の変化や心身の不調に気付きにくくなる、という問題も懸念されます。
今回は、ある会社の事例から、メンタル不調を防ぐコミュニケーションについて考えてみたいと思います。
1.A社のケース
A社は従業員数100人余りの、あるIT企業です。社員の多くはIT分野の専門スキルを持った、20代から30代の男性でした。プロジェクトごとに担当メンバーが顧客企業に常駐することが多く、社員が集まるのは創立記念日や研修等に限られるということもあり、お互い名前は知っているが顔はよくわからない、というケースも少なくありませんでした。
また、常駐先においても、日々の業務に追われコミュニケーションをとる機会は限られていました。時間外労働も多いため、仕事の後に飲みに行くような機会もほとんどありませんでした。そのため、お互いの体調を気遣う余裕もなく、気が付いたら誰か倒れて休んでいる、という状態が続いていました。
常駐先にはプロジェクト・リーダーもいましたが、他のメンバーとほとんど同年代のため余裕もなく、自分の業務だけで精一杯という状況でした。そのため、いわゆるラインのケアを実施できるような環境もなく、担当者もいないという状態が続いていました。
そんな中、ある常駐先でメンタル不調者が続出するという事態が起こりました。本社の人事担当者が調べてみると、業務量が多い現場というだけでなく、メンバーが分散した現場のため、コミュニケーションがほとんど取れない状況にあることがわかりました。業務連絡はメールが中心で、顔をあわせる機会は月に数えるほどだと言うのです。
メンバーの話を聴いてみると、それぞれ困ったことがあっても相談できる相手がいない、という悩みを抱えていることがわかりました。体調が悪い時でもフォローする人がいないうえ、誰に相談すべきかわからず、つい無理をしてしまうとのことでした。また、顧客から日々こまかな注文が入っても間に入って調整する担当者がおらず、そのことも各自の負担になっていました。さらに、プロジェクト・リーダーに内線電話で指示を仰ぐことがあっても、多忙を理由に現場レベルで対処するよう言われるだけで、そのことも負担を大きくしていたのでした。
そこで、人事担当者がプロジェクト・リーダーに話を聴いてみると、今度は別の視点から現在の問題点が見えてきました。プロジェクト・リーダーは10年近く経験を積んだ32歳の男性でしたが、後輩であるメンバーが相談しに来ないことを悩んでいたのです。いつもメールで簡単な報告を受けるだけで、各現場がどうなっているか、各メンバーがどのような状況か、ほとんどわからなかったというのです。自分自身も日々の業務に追われ、後輩とコミュニケーションを取る時間がなかなか取れないうえ、様子をうかがうため内線電話を入れることが、逆に集中作業している後輩の邪魔をしてしまうのではないか、という心配も抱えていました。さらに、直接指導できる機会がなく、後輩育成の部分でも不安を感じており、彼らが思うように成長してくれないことに焦りも感じていたのです。そのため、内線電話で後輩から質問を受けても、あえて自分で考えさせるよう、多忙を理由に答えないことが多かったのでした。そして、「後輩を早く一人前に育てたい」という真意が、きちんと本人に伝わっているか、不安も感じていたのでした。
2.メンタル不調を防ぐコミュニケーション
A社の例からも、コミュニケーションを促進させるには個人の意識だけでなく、マネージャー役の担当者を配置する、定期的に全員が集まる機会を設ける、などの体制づくりが大切だということがわかるでしょう。しかし、各自のスキルを向上させることも非常に重要です。A社の例でいえば、メンバーが自分達の要望をリーダーにきちんと伝えず、ため込んでしまっていることが予想されます。そのため、自分を上手に主張するアサーションなどの教育が必要と言えるでしょう。またプロジェクト・リーダーについて言えば、後輩の作業の邪魔にならない時間帯やタイミングを確認してコミュニケーションの機会を増やす、メールでの状況報告を電話に変更する、などの工夫が必要と言えるでしょう。
特に、先輩―後輩、上司―部下など、力や経験に差がある関係では、どうしてもコミュニケーションが一方的になりがちです。人間は、自分の経験から物を考えて相手に伝えてしまいがちですが、受け取った側に同様の経験がないと、充分に理解できないことがあります。また、逆に、立場が下の者からみれば、「先輩(上司)は経験があるのだから、言わなくてもわかってくれるだろう」となりやすく、過度に期待することもあるでしょう。そのため、先輩(上司)は「教えたはず」と思っていても、後輩(部下)は「教えてもらっていない」「わかってくれない」と考えているなど、ミス・コミュニケーションが生じる原因にもなりかねないのです。
メンタル不調の原因ともなりうるコミュニケーション不全を防ぐためには、環境調整とともに、お互いに「自分の言うことが相手に伝わっているか」「相手の言うことを理解しているか」ということまで配慮しながら会話をすることが大切と言えるでしょう。
(臨床心理士・社会保険労務士 涌井美和子)